Excelで長いテキスト打ったときの行間の狭さが気になるのっておかしい?

最近、Excel方眼紙風を少し触る機会があった。

案件は、狭い紙に色々なものを詰め込んでいるのを、さらに詰め込もうとしている、というものである。セル結合を解除して罫線を引き直して、とひたすらにやっていくだけである。別に、頭を使わずに作業すればいつかは終わる。

しかし、頭を使わずにやって手直しが入ったとき、もう一回、同じ作業を繰り返さなければならない。特に、少しだけ違うExcelファイルに同一作業をほどこさなければならない管理方式が取られているため、一回あたりの作業の量は減らせるだけ減らしておかないとならない状況である。

線を取る代わりに余白を入れるという基本線

Excelは罫線が多すぎると、色々と面倒だし見辛い。ということで、無くせる罫線(やセル結合)は無くしたほうが良い、ということで色々考えた。

線で区切る代わりに何らかの方法を用いて区切る場合、調整するのは余白である。ただ、項目と項目の間を適切に取ると、なぜ余白の部分が浮いて見えてくる。

目を凝らしてみて原因を考えた結果、テキストの行間が異常に狭いことが要因であると判明した。テキストの部分がぎっしりしているので、普通にWord感覚で区切りの余白を取ると浮きすぎるのである。

提示されている解決法が強引すぎて・・・

googleに聞いてみると、行の高さを調整して均等割り付けにしろというのが良くある解決法らしい。しかし、文章の長さは可変長である。その解決策を取ると、長さが違ったときに適切なレイアウトにならない可能性が捨てきれない。ということでその対策は取れない。

さらに聞いてみると、どうやらテキストボックスを使うという解決方法があるらしい。こうすると許せる行間になった。

ただし、なぜか段落書式が設定できない。たぶん、数式で文章を参照しているのだからだと思う。数式に段落という概念はないから。

決裁権者がExcelわかってないですからね

Excelは表「計算」ソフトであり、帳簿を作るソフトではない。そのため、それで体裁をとやかくいうのは間違っている。とやかくいうなら金を払ってそれなりの環境を買うべきというだけの話である。そして、実際はそのほうが安くつくのですが・・・

(余談)Excel以外でやっていいのなら・・・

TeXに流し込みたい気分である。しかし、サーバーサイド実行ではないので、クライアントに全部TeXインストールして、しかも素人に操作させるというのは無理ですからね・・・

Accesssがインストールされている環境ならAccessもあるんだろうけど。

話題の某大はセンター1Aで試験だけだと差がつかないかと・・・

某私大の政治と経済が合わさった学部で入試で数学が必修になったと話題になっている。

いくつか思うことを雑多に述べてみる

センター数1Aは差がつくか?

課されるとされている数学は1Aのみである。あのレベルの大学の数学で1Aってそんなに差がつかないような。ただの足切りとしてしか機能しない。それすら怪しい。

社会の問題作りたくないだけでは?

この学部、政経の出題もやめていたりしている。要は高校の内容を踏まえた入試問題を作りたくないんじゃないの?とうがった見方をしてしまうのは私だけだろうか?

理科基礎がコスパが良いのですが・・・

選択科目とやらも怪しい。このリストでいくと理科基礎が一番コスパが良いことになる。それで良いのか?

要は、理系をとりたいのか?理科基礎でなくても、専門理科1個で良い点数を叩き出す理系はいろいろといるだろうから。

あお、国際系の某学部は理科基礎を抜け道に使われるのを嫌ってか、理科基礎を科目から排除してきてますね。

余談・世間で文系数学は問題が簡単で特と言われているのが・・・

最近、どこやらで文系数学の問題が貼られて拡散されていた。こんな簡単だからお得だと。

しかし、得点調整の問題を忘れている。

  • 数学得意しか数学を使わない
  • 問題が簡単
  • いろんなデータが非公表

と考えると、本当に得になっているかは検証できない。ちょうど、公認会計士統計学あたりと同じ問題がある。

今回は、全員必須の形で課したことで、この手の得点調整による不安を抱えながら数学の問題を解くことは解消される。

数学が得意な人間にとって、これはありがたいことではないか。ただし、センター1Aではね・・・実力差が正しく反映されるのかどうかね・・・

余談・入学後に使うのは2Bですが・・・

まあ2B使うと、受験者数が壊滅しすぎたりセンター数学のとこで差がつきすぎたりするのが嫌だったんですかね。。。

セル結合を解除するのに必要なのは技術力ではなく交渉力というおかしさ

最近、手元でセル結合を多用しているシートで遊んでいる。

手書きを想定した帳簿をそのままExcelに落とし込んでいるため、やたらに罫線が多い。しかもセル結合多様である。

製作者の方の大人の努力は非常にわかる。いきなりラディカルにはいけないので、とりあえずできるだけ手書きを踏襲して電子化をしたのだと思う。苦労がしのばれる。

元の製作者の方はプログラミングの素養があるため、データと見た目の分離はちゃんとされないる。なので、手をいれるのはそこまでは難しくない。

交渉力の問題になるなら普通の人は避ける

罫線を取るには、決裁権者がそれで良いと言わなければならない。決裁権者は、前例であれば何も文句を言わないが、それ以外の場合は文句をいう確率がそれなりにある。そして、文句を言われたら、理論武装で反論をしなければならない。そうなると、無駄とわかっていても前と同じにしておこうということなる。

今回の場合、普通のパッケージを導入していればExcelシートそのものが不要な業務である。それをせずにExcelで節約しようといってるのだから、細かなことはつべこべいわずに受け入れていただけなければ困る。

プログラミング教育はいらない派だけど

データをあれこれするのはRを使っていることが多いので、セル結合をほどいて、また結合して罫線を引き直すとか、同一列の下に合計を入れるとかは非常にストレスがたまる。帳簿にしたければ、最後TeXやHTMLにでも吐き出せば住むだけの話だろと思ったり。

どこやらのつぶやきで、プログラミングをやらすことで、コンピュータの常識みたいなものが早く身につくのではないか、とあった。この意見に対しては「環境を整えずに授業を一斉でやる身からするとそんなことは面倒だからやめてくれ」という意見であった。

しかし、こういうとこで細かい要求を出す人々の存在を撲滅しようと思ったら、Rとかデータを触るプログラミングはさせたほうがましだと思い出した。現状のプログラミング教育の方向とは違うけど。

ただ、プログラミング教育派は子供のクリエイティブ性とか興味をとかなんとかな感じの教育プログラムを想定していることが多い。しかし、多数派に教えるべきはそこじゃないと思う。ほんと。

電話と手書きが素晴らしいと書いた教科書が一部でディスられてるらしい

一部で、情報の教科書に「電話や会って話すことが大事」だと書かれてたのがディスられてた。まあ、その教科書の記述自体は穏当な書き方なので問題はないと思う。インタラクティブにやりとりして解決しないとならない場合もある。

どういう場合にその記述が正しくて、どういう場合にその記述が間違ってるかをだらだらやるのが授業というものである(ので情報の授業準備は精神削られる。何言っても誰かから絶対批判されるから。)。教科書がどう書いて会ってもなんら問題はない。ただし、試験問題にしなければ。

だいたい、情報の教科書を、今までの「絶対に教科書丸暗記」レベルの真実だけが書かれているもの、と外部の人間はイメージしているからこんなあれこれがでるのだと思う。あれは相当に適当な部分「も」ある。その区別を授業で教えてれば何の問題もない。

あと、情報の教科書は会社間でまともかどうかの差が激しい。外野は他の教科の教科書のイメージで見て叩いてるけど。そして、だいたい高校の先生に「わかりやすい」と好まれるのはまともじゃないほう。(以下自粛)

以下、ちゃんと書くのがあれなのでだらだら。そのうちちゃんと書くかも。

電話を使うかどうかの授業をするときには

自分が授業をするときには(電話を使うべきかどうかは)「新しい考え方(というかそっちが私の常識)と古い考え方が真っ向から対立してる。相手がどっちかを空気を読んで考えた上で、良きに対処せよ。例をあげておくと学校は古い考え方でIT企業は新しい考え方。」とやってる。

「相手の時間を極力拘束しないことが礼儀」という考え方は、いちおう存在はするがなかなか理解されないという話もしたような気がする。

同期・非同期のコミュニケーション話と絡めて(というかそのとき使ってた教科書がその項目の近くにあったから)話したはず。

教科書が何書いてあっても試験にしなければ問題ない

教科書が何書いてあっても、授業では、まあこんなのは教科書がバカなことをいってますといってしまえば済むだけの話である。教科書は法律では「主たる教材」として使えとは書いてるが、一切の批判を加えるなとはどこにも書いてなかったはずである。

ただし、こういう客観的事実で言い切れないものを平気で試験問題として出すのがいるから困る。よって、私は「こういうのは絶対に試験に出さない。出す人間は物のわかってないあほだ。」といいきってた。

絶対的事実と相対的事実の区別

絶対に出さない、の話をする前段にだいたいこんな話をするようにしている。 (ちょっと人目を引く演技を入れて。身バレを防ぐためにそれは書かないが。)

情報の教科書には

  1. 「1+1=2」のような理系・客観的事実
  2. 親は大切にしましょう、みたいな道徳的なまあたぶんいいよね

が混在している。1と2を区別せずに試験をするあほもいるが私はそうしない。絶対に1.からしか出さない。そして、1.と2.を区別するのは高校生には無理だから、そこはどっちかはちゃんと言う、といって授業をするようにしている。

だいたい、同じ教科書に絶対的事実と相対的事実が混在してる状況で高校生にそれを区別させることが生産的とは思えない。また、区別できたとしても目の前の人間があほな可能性もあるから、教科書通り覚えないとならないとなってしまう可能性もある。そういう無駄な勉強をさせるという行動を防ぐためには、「絶対にここは試験にしない」と言うしかないと思っているし、ゆえに、そう振舞ってるとも言ってる。

教科書が書き換わる問題

情報の試験のややこしさは、こういった問題に加えて「パケットは定額である。正しいかどうか。」とか「携帯の電波はペースメーカーに悪影響がある。正しいかどうか。」といったタイプの問題をどう扱うかという問題もある。。。時代やシチュエーションで答えが一意に定まらなかったり変わる問題。

こういった話は、副教材のモラル本あたりだとこれをどっちかで言い切ってて、かつ試験に出してしまうあほな人もいる。授業を受ける側は、今までそういうあほな人もみてるだろうから、「まず私はあほではない(偉くもない)」ということを初回で宣言するようにしてる。

あと、病院の携帯は、教科書が「ペースメーカーで絶対だめ」と断言してあったが、そんな真逆なことは言い切りたくなかったので授業を工夫した。通達を調べさせる授業をして、あとは言いたいことはわかるよねと。組んでた先生が教科書絶対主義だったので、こんな常識を言うためにここまで徹底的に理論武装しないとならないのかとため息をついた記憶がある。

テキストベースで話し合うのは「話すこと・聞くこと」にカウントできるのか?

今時、話し合いは、グループウェアのアンケート機能やファイル共有機能を活用して行うものである。では、これを小学校国語でやった場合は何に分類されるのだろうか?「話すこと・聞くこと」にカウントできるのだろうか?ふと思った。

小学校国語の学習指導要領の指導事項には、「目的や進め方を確認し,司会などの役割を果たしながら話し合い,互いの意見の共通点や相違点に注目して、考えをまとめること。」となる。そして、グループや学級全体で話し合う活動が言語活動例であげられている。

司会と黒板という話し合い方が明らかに想定されている。しかし、現実社会の話し合いは、テキストベースの資料を一切用意しない話し合いは、むしろ非効率なものとして避けられている。

では、話し合いを現実に近づけるべく、グループウェアのアンケート機能やファイル共有機能の使用を話し合いのプロセスに組み込んだとしよ。このとき、このテキストベースで行なった作業は、この部分の時間は「書くこと」に按分しなければならないのだろうか?ふと思った疑問である。

なお、以下の解釈は完全に独断と偏見であり、完全な無保証である。

お上の資料

指導要領解説では「話すこと・聞くこと」の指導事項では(以下、私が便宜上、上から番号をつけた。実際は番号なし。)

  1. 話題の設計,情報の収集,内容の検討
  2. 構成の検討,考えの形成(話すこと)
  3. 表現,共有(話すこと)
  4. 構造と内容の把握,精査・解釈,考えの形成,共有(聞くこと)
  5. 話し合いの進め方の検討,考えの形成,共有(話し合うこと)

となっている。

1.を見ると、話し合いのための準備は話すこと・聞くことに入れて良いらしい。また、5.の考えの形成・共有は書くことの指導事項には入ってなさそうである。

「書くこと」の共有は「文章に対する感想や意見を伝え合い」と解説されている。したがって、あくまで作品を味わうという意味での共有であると解釈できる。全体的に、書くことの指導事項は一つのまとまったものを仕上げるという意味での指導事項が並んでる。ということは、いわゆるやりとりに属するものはどのような表現メディアを使っていても「話すこと・聞くこと」にカウントしても良さそうである。

また、3年・4年の指導事項の中に「互いの意見の共通点や相違点に着目して,考えをまとめること。」とある。これは書くことの項目にはない指導事項のはずである。となると、テキストを使おうと何使う嘔吐、この目的に向かっていることは「話すこと・聞くこと」でカウントしてみさそうである。

となると、テキストベースでリアルタイムで考えを共有することは「話すこと」「聞くこと」の拡張形であると考えてもよさそうである。

現実は中間どころに落ちますよね

テキストベースで話し合えば「書くこと・読むこと」になり、音声ベースのみで話し合えば「話すこと・聞くこと」にカウントしろ、となったら相当非合理的ですよね。だいたい、たいていの話し合いはテキストのやりとりと音声のやりとりの中間どころに落ちますよね。

項目ごとに時間数を分類してカウントすること自体がナンセンスなような気がしてきた。ただ、そうしないと読むことだけに偏った指導がされるから縛っている、というのはわかるんだけどね。。。

探求で九九や漢字を身につけさせろといったらぶっ叩かれるのにね・・・

検索エンジンにひっかかると嫌なので、本文は引用せずに思うことを書くことにする。

小学校の総合に出てくる情報機器習得条項

小学校の総合では、文字の入力などの情報手段の基本が身につけられるように配慮することとなっている。

これを字面通り適用するとすれば、まあ、総合の時間の中で操作をやる時間を先に取ってから(特に慣れではどうにもならない人間が多数出てくる文字入力)授業を進めていこうね、と穏当な話になる。

漢字や九九を探求で身につけろといったら絶対大きく批判されるよね

しかし、お上の解説(これは法的拘束力は無い)は、探求的な学習の過程における実際の場面を通して情報手段の基本的な操作を身につけろと言っている。

これ絶対無理だろと個人的には思う。情報手段の話なのでで誰も文句は言ってないだけだとも思う。もし同じことを九九や漢字の学習について、「暗唱や反復の書き取りの手法は一切使わずに、探求的な活動のみでこれらの技能を身につけさせろ。」言ったらどうなるか?たぶんものすごいバッシングである。

文字入力は、漢字や九九と同じトレーニングが必要な技能である。したがって、その習得段階では単純反復のアプローチが絶対に必要になる。誰も真面目に文字入力を身につけさせようとしてないから、そんな当たり前の意見も出てこない。

総則では相変わらず反復はOKですけど

今回、指導要領の様々なシーンで、探求っぽいその学習活動を通してでは絶対に身につかないし授業破綻だろ、という部分が随所随所に出てくる。反復とかやったらだめなの?とかも思う。

しかし、総則を見ると、今まで通り必要であれば繰り返し学習などの工夫はやってやろしいと書いている。どっちなのかはっきりしろと言いたい。

技能の活用シーンを用意することは当然必要ですが

だいたい、探求活動を通して反復技能が身につくというのは誰かが科学的に実験して証明したのかと言いたい。仮に結果があるとしても、全国津々浦々で様々な教員や様々な生徒や様々な学校で適用できるほどのロバストな結論ではないでしょう。

まあ、全てを探求活動を通してと言いたくなる気持ちもわからないではない。いろんなことについて、訓練だけで終わらせることがあまりに多いのが現状だから。文字入力の訓練させておいて、日頃のワークシートが手書きではそれは訓練させる意味はない。だから、訓練を日常につなげることは必要である。そこはさすがに否定しない。

ただ、訓練だけで終わらせてしまう誘引もきっちり除去してから探求をやれと大声で言ってほしい。忙しいとか1対40とか、それなりに生徒押さえつけて統制とって授業しないといけないとか、そういう種々の制約が教える側を反復重視に向かわせているのだから。

自分に関しては、文字入力の下側はある一定以上にしておかないと、1対40の環境で情報教室で面白い応用の授業はできないという認識である。文字入力が怪しい生徒が一定数を超える、どんな面白い授業をやってもその生徒のフォローで破綻する。よって、面白い授業の下準備として、まずは文字入力の訓練、特に下位層の訓練に力を入れているつもり。それ以外の理由もいろいろあるけど。

Excelで単にグラフを描く授業ってどこに配当するの?

新課程に向けて色々と趣味で考察している。

以下、根拠・ソースは全て略で、現時点での私の思い込みで書いているので注意。

新課程ではコンピュータの単純操作はノーマルな各教科に振り分け

一般人用語でいうと、Word, Excel, PowerPointは技術や情報が引き受けるのは一切やめるということになる。各教科が教科内容をやる中で活用し、かつ、操作方法を習得されるということになっている。特に、小学校段階で各教科で使うレベルは習得されることになっている。

技術・情報ではいわゆる情報系学部のイントロをやるということになっている。

単純にExcel操作してグラフ描く活動はどこにもない?

文字入力は総合でやれということになっている。文字入力ができれば、Word系・PowerPoint系はまあ使ってるうちになれる。そこは問題ない。

問題になるのはExcelである。Excelはデータを触る中でやっていくことになる。

現状、表にまとめることが3年・棒グラフが4年・割合が5年なのでそれに関連したグラフはそこで扱われる。今度は、中学から代表値が降りてくるのでもう1学年降りて割合が4年ということになる(大丈夫?)。

仮に算数でその活動をするとしよう(総則で「適切に各教科で情報活用はやれということなので適切でしょう」)。現行の学年でいくと、単純に棒グラフを描く活動は4年でできることになる。ただ、4年生にExcelのメニューが読めるのか?と言われると???である。もう1学年落ちると??

割合はただでさええぐい単元である。ここは、算数の時間としては手でグラフを描かして割合を実感させる必然性がある。したがって、あまり表計算には時間が割けない。となると、算数以外で表計算をやる時間をかき集めるしかないか?

4年の国語は地味にえぐい

ここで4年のある会社の国語を見て見ると、アンケートを設計してグラフにまとめてポスターにまとめるという単元が発見された。そして、そしてそれを手でやろうというのである。

高校の社会と情報の教科書と実質的には(レベルは違うが)同じことをやっているのである。

国語はまあ失敗したときのダメージも少ない教科なので、仮にここで表計算を扱うことにしよう。しかし、配当時間が約10時間である。これでどうやって間に合わせろと?

使えるグラフが制約される

この単元をやるときには、割合を使えないので折れ線グラフと棒グラフに限定される。しかも、まだ平均値を習っていないので平均値も考察に使えない。

となると、考察のバリエーションは頻度順に並べるということしかできない。それに合わせるように子どもに質問作らせないとならない。

小学校の先生ってそんな高度なこと考えて商売しないといけないんだ・・・すごい稼業だ。

これgoogle formとかでやろうって発想はないわけ?

こんなの手で集計することに何の国語的意味があるのだろうか。それこそ何かテクノロジー使わせろよと思う。指導要領解説にも「図表を作って報告させるばあいは、作表や作図は国語のメインじゃないから、そこに大して手間かけるな」とある。だったら、コンピュータ楽チンさせるのが普通じゃない?

コンピュータの操作について横に串刺ししたものを作らないと・・・

総則では、計画的に情報活用能力を身につけさせるとある。特に小学校は操作も含めてである。

表計算をシステマティックに扱う単元がない以上、各教科の表計算っぽいところを串刺しにして、とにかく使えるときには表計算ソフト使わせておかないとどうしようもない。社会・理科も串刺しにしてとにかく経験を積ませるしかないところだと思う。

お役所はいらんとこは単元表作らせるくせに(総合との関連とか)、こういう肝心なとこは作らない。ということで自作するしかないな。。。

プログラミングよりこっちのほうがよっぽど問題だと考えてる今日この頃である。プログラミングはキットがあるけど、表計算はキットがないからね・・・