かなり昔に応用情報を受験した

応用情報の午後の対策を記事にでもするかと思って、色々と分析を始めた。ただ、それが書けるのは少し先になりそう。

ただ、そういうのを書くなら自分の経験をまずは語っておかないと、ということでこの記事を書いた。

あまりに一般化できない経験のため、資格試験対策上は、何の役にも立たない記事になっていることに注意しておく。

文系・知識なし・無勉で通った応用情報

私は受験当時は、高校は文系・経済学部出身・専門的な情報処理のお勉強などしたことはない、といった人間であった。その上、無勉で応用情報に突っ込んだ。過去問すらまともに解いていない。

受験当時の知識レベルは、

  • DBの正規化なんて聞いたこともない。SQLも書けない。
  • OSIの7階層もあやしい状況。TCP/IPの4階層の分け方ですらあやしい。
  • サブネットマスクって、固定IP設定しないといけないときにWindowsのあの設定画面に打ち込む数字でしょ?

といった感じ。まあ、無茶苦茶な知識レベルで受験に行ってるわけです

まあ、それでも午前8割・午後7割で通ったわけです。

当時の受験の雰囲気

午前

消去法を駆使して解きまくる。数学っぽい問題はその場で一から考えて、なんとか解く。周囲が早々に退室していく中、こっちは時間目一杯使って解く。もはや午前の段階で疲労困憊である。

午後

以下の問題を選択して問題を解く。 (注 : 当時と今では選択のルールが違う)

問題選択

必答(20点)

経営戦略

選択(16点)

解いた雰囲気

経営戦略(筆答)

経営戦略の問題文を開くと、ゲーム理論の問題が登場。単純な利得表が書かれた問題。これが解けない経済学部生はいない。下手すればセンター政経レベル。後半意味不明の問題はあるが、そこは捨てた。ということで、短時間で0点の回避に成功する。

システムアーキテクチャ

仮想化がどうだこうだと書かれている。しかし、実質は要件からCPUとHDDとメモリの必要量を読み取って、四則演算を重ねていく問題に読める。ただし、問題文の情報量が多いので、注意深く読めればの条件付き。0か100かみたいな問題である。

こういう問題は、0の目が出ると悲惨なのでできれば避けたい。しかし、他に点数を稼げる問題もないので、そんなことを言ってられる状況ではない。100の目が出る方にかけてこの問題を解く。

そして、時間を投入して死にそうになりながら解き切る。

後からの情報によると、この問題は正答率が低かったらしい(公式の講評より)。民間試験会社の講評では、当時の新傾向(仮想化)問題だったらしい。そんなことは、ノー勉でいってるこっちは知るわけもない。

むしろ、(覚えてないと解けない)待ち行列とか出さないでくれてありがとう、という感想しかなかった。

情報セキュリティ

本来は、TCP/IPもわからない人間が解ける問題などない。ただ、序盤にHTTPのメソッドを記号で選択して入れる問題があるのを発見。そこの部分をカンで頑張って選択。あとは適当にそれらしき嘘を書く。

マネジメント3題

とにかくよくわからんけど問題文を読んで答えを適当に書いて半分を期待する。

この経験を普通に記事としてまとめるなら

この体験を素朴にまとめると「応用情報は文系の人間が無勉で行って取れる試験」ということでまとまる。

しかし、本当にそうなのだろうか?さすがにそんなわけはないと思っている。

実はここまでは「自分のほんの少しの経験の積み重ね」「自分の持つスペック」を隠して書いてるのである。

確かに、私の場合、「理系の系統的な情報のお勉強」はしてない。ITを使う仕事もしたことはない。プログラミングもばりばりにできたわけでもないし、アプリケーションの開発もできたわけではない。(そして今も最後の2つはできない)

だから、「経験がない」「(無能)無勉の文系」という部分は嘘を書いているわけではない。では、本当に何も経験と呼べるものがなかったのか?それを洗い出したものを次の記事で書いてみることにする。

実は、今回の記事のテーマは、「(能力のある人が無意識のうちに経験とみなしていない)無形の経験を隠して書かれた体験記にだまされてはいけない」なのである。このことを、自分の体験をだしに書こうとしているわけである。

来年の春の某英語のスピーキング調査が燃えてる件

燃えるとやばいネタ。でも、世間と反対側のことがどうしても言いたい。よって、散文的にわかりにくく書く。読み返してない。勢いで書く。

やれといわれてる話は

要は、とある英語のスピーキングテストをするのに、復元ソフトを止めてソフトをコピーして展開し、そのソフトを使ってデータを取得し、そのデータをUSBメモリに入れて送信しろという話である。さらにそのソフトは消すことと。

展開するのは前日、実施と消去は当日。まあ、この日程そのものはタイトすぎるとは思うが。Chromebookを入れてしまった学校のためにWindows以外の選択肢を用意しろというのもわかる。よって、総合的に見た時にオペレーション的に無理がある、という全体の主張に関しては、まあいいかなと思う。

復元ソフトを一度入れたらそのままにする現場はくたばれ

ただ、主張を構成する一部である、教育用環境のコンピュータはソフト展開が難しいからやりにくい、という主張だけはくたばれと思ってる。教委がインストール手続き面倒にしてるからインストールは難しい、は、120%教委を中心とした末端側の責任です。

日頃からWindows UpdateとかWebブラウザのアップデートとかブラウザにまつわるプラグインのアップデートをやっていたら、今回求められている作業はなんてことはない。失敗が許されないプレッシャーはあるが。

某社だってWindows Updateは支援機能がついてる。あるいは、教育上必要なソフトを必要なときに出し入れする経験がそれなりにあれば、作業そのものはたいしたことがない。

そういうコンピュータを当たり前にメンテナンスすることさぼる、あるいはリソースをけちってき、あるいは、事なかれ主義でかなり古い状態で巻き戻しのまま使うことを当たり前にやってて、「そういう状態だから何か入れろとか無理です」はなし。

だいたい、教育用PCとそれ以外のネットワークは分離されてるのはなぜかっていうと、教育はいろいろやるからでしょ?やって失敗しても良いようにわけてるんでしょ?高い金払って業者と契約してるのも、いざというときにリカバリして戻すのぐらいやってもらうために契約してるんでしょ?

なので「ソフトの展開は教育用環境が悪いからできない」という主張には一切組したくない。むしろ、これをきっかけに体制を見直せとすら思ってる。だから、現場には悪いけど、一回強行してほしいというのが個人の思いだったりする。

いくら情報環境整備しろと通知だしてもやらない現場なんだから、こういうショック療法の一つや二つぐらいやってもらわないとね。。。。もちろんそんなのなしでまともだったら何の問題もないけど。

某社6年の算数教科書をみながらなぜデータを並べ替えてから処理しない?と思う(3) 度数分布表

以前の記事の続きである。某T社の教科書の話。

ドットプロットを描いたあとは、度数分布表に整理している。2時間扱いである。

表に整理することで1時間、読み取りが1時間という時間配分になっている。

データの再掲

ソート前

小屋Aのデータ

53 48 58 63 65 58 53 56 58 57 60 55 67 50 62 57

小屋Bのデータ

50 63 54 74 63 45 54 67 60 47 68 52 57

ソート済

小屋A

48 50 53 53 55 56 57 57 58 58 58 60 62 63 65 67

小屋B

45 47 50 52 54 54 57 60 63 63 67 68 74

表にする前に普通は・・・

とりあえず、手書きでやってたらすぱっと線を入れる。以下、区分は以上・未満で45kgから5kg刻みで刻んでいる。

小屋A

48 | 50 53 53 | 55 56 57 57 58 58 58| 60 62 63 | 65 67 |

小屋B

45 47 | 50 52 54 54 | 57 | 60 | 63 63 | 67 68 | 74 |

これから度数分布表を作るとこんな感じ。

重さ(g) 小屋A 小屋B
45〜50 1 2
50〜55 3 4
55〜60 7 1
60〜65 3 3
65〜70 2 2
70〜75 0 1
合計 16 13

並べ替える前のデータから度数分布表を作るよりはるかに楽。だって、左から順番に区切りごとに数数えて写す(ただし0が入る階級には注意)だけなんだから。

そして、以下の感じで縦に並べて置いたらさらに楽

48

--

50

53

(実際に自分で手作業するとすぐわかる。私が手作業したものは何かに使うかもしれないので今は略。)

指導事項と関係ないことは削いでほしい

ここの項、以上・未満も同時に指導しようとしている。よって、境界上のデータがやたらに何回も出てくるのが気になる。ここでつまづいて度数分布表が書けないというのは統計の単元の趣旨には反する。

並べ替えをせずに、表に正の字を書き込む方式の場合は場合さらに悲惨である。以上・未満の判定を、数値をみるごとに何回もしないとならない。それだけでかなり疲れる。以上・未満の演習にはなるが、統計の演習からすると無価値な演習である。

度数分布表が想定する連続データの文脈では、境界をどうとっておくかはどうでも良いことなので、あえてそういうデータが出てこないようにするというのが教育的配慮である。ここで、以上・未満が正しく仕分けできなくてもこの単元のねらいからすると何も問題ない。

こういうとこで「統計はめんどい作業だけで苦手」というのを量産してどうするんでしょうね?意味がわからない(大人の事情はわかるが。)

高校でその学部に行く学生を作れないと滅びる学部って何ですか?

某所で見たつぶやきで、この方向で国語のカリキュラムが進んで行くと、文学部に行く学生はいなくなる。そんなので良いのか?とつぶやいてた。さすがに怒り狂った。

それに関連した暴論。燃える中身ですが、影響力のないブログなので燃えないでしょう。。。。

必修にこだわりすぎ

国語の人間は、小説や古典を必修でやらせているという既得権を当然のものとして議論を始めているところが、どうかと思うところである。

文学部に行く人を作るために古典や小説を高校でそこそこ深く教えたければ、それを必修で扱う必要もない。選択で開講して、好きなだけ深く突っ込めば良いだけである。だいたい、今も、一部の大学は文学部だけ別の国語の問題作ってるでしょ?それをもっとやれば良いだけ。

だいたい、学校の授業で文学に興味を持って、文学部に行きたいって思った人はどれぐらいいる?古典は強制で触れないと厳しいかもしれないけど。高校で必修でなくなるぐらいで滅びる程度の魅力しかない文学部なら、一回文学部など滅びてみろとも言いたくなる。

(注 : 私は文学部の授業に出入りしていたこともある。よって、文学部の存在自体には肯定的な立場。ただ、特権階級をふりかざして高校で全員必修という影響力を行使しようとしたいることに切れているだけである。)

経済学部はもっと冷遇されてます

国語の授業で文学をやらないで文学部がつぶれるなら、経済学部はとっくに潰れている。現代社会や政治経済でまともに経済学など教えられていないし。まともに教えられる人もあまりいないし。あれで経済に興味を持って経済学部に行く人などいるのか?

さらに、入試も極悪である。経済学部に行きたい人をつぶす入試である。だいたいのまともな大学では、古典ができないと経済学部に行けない。現代文ですら、経済学の教科書を読む感覚とは明らかにかけ離れた、もはや古典ともいえる人文の趣味の評論とか変な社会科学系の人の評論が読めないとならない。

だからって経済学部の人が、「高校教育がおかしい、このままでは日本が滅びる。」と主張したことありますか?したらしても叩かれるでしょう。人文系なら同じ発言を堂々として良いとできる理由がわからない。

某社6年の算数教科書をみながらなぜデータを並べ替えてから処理しない?と思う(2) ドットプロット

後でちゃんとリライトして、関連記事のリンクなど貼るとする。内容は前回の続きである。完成品をちゃんと書こうとしたらいつまでも未完成なので、不完全でもアップしていく方針を取る。

実は、ここで書く話は全てPowerPointできれいにまとめた図がある。しかし、それは業務関連で使おうと思っているので載せられない。。。

データの再掲

ソート前

小屋Aのデータ

53 48 58 63 65 58 53 56 58 57 60 55 67 50 62 57

小屋Bのデータ

50 63 54 74 63 45 54 67 60 47 68 52 57

ソート済

小屋A

48 50 53 53 55 56 57 57 58 58 58 60 62 63 65 67

小屋B

45 47 50 52 54 54 57 60 63 63 67 68 74

ドットプロットを描く

教科書ではここで数直線上に点を取らせて言っている。おおざっぱに言うと次のような2つの図を用意させている。小屋Aを見本で、小屋Bを自力で作業させることになっている。

小屋A f:id:baruku07:20180813230535p:plain

小屋B f:id:baruku07:20180813230622p:plain

教科書で、目がもう少し細かくて、それも点を打つ時に①のようにデータ番号を入れた点にしろと言っている。

図からわかることを考えるのが趣旨なのにちゃんとやると全て中学校の指導事項になるというオチ

評価基準は

  • 散らばりの様子を調べる必要性について考え、資料を統計的に考察することができる。(考)

実質レンジを求めさせてる

教科書では、まず、設問として範囲(最大-最小)を計算させる設問が付いている。範囲は中学校指導事項では?と思わないでもない。設問の意図を指導者がわかってない場合は、ただの作業となり悲惨である。

せっかくレンジをもとめさせたのであれば、数直線の最大と最小を結ぶ線を、数直線の下に描けば良いのにと思う。そうしたら、AとBの長さが違う、すなわち、レンジの意味での散らばりが違うということが視覚的に明らかになるのだから。そして、最大-最小の計算は、この長さを計算させた、ということになるという説明で終わりなのに・・・

平均値のまわりにデータが散らばるとは限らないが言いたいことらしい

平均値の値の部分に追加でマークをいれさせる設問もある。その上で、データは常に平均値の周りに集まるのだろうか?という設問をつけている。たぶん、小屋Bのデータをみてそうではないと言わせたいのでしょう。

なお、それ以上の踏み込みがないということである。小屋Aは平均周りにちらばってて小屋Bが平均周りにちらばっていないという傾向が明らかになったのだから、「ゆえに平均値の比較はこの場合は適切でない可能性もありえる」というメッセージがぱっと思いつく。しかし、そういうメッセージはどこにも書かれていない。

小屋Bのデータでいうと75はちょっと飛んでる値だからそれも少しだけ頭の片隅に置いておかないと・・・などということはないのである。並び替えする意味って、こういう異常値(この場合は異常ではないと思うが)を見つけるのが一つの重要な目的なのだから、これも指導しないということは私の感覚ではありえない。

とにかく中途半端

以上で書いた指導事項は中1ということになっている。しかし、ドットプロット描かせておいて、平均だけはみてはならないことを示唆しておいて、でも「なぜそうなのか」をちゃんと説明するのは中学である。この説明なら「平均だけみて判断して何が悪い。図なんて面倒なことをしなくて良い。」居直られてもなんの文句も言えない。

作業の検討

点を描くという手作業は一回は経験しておくべき

グラフの点が何を意味しているかを知るためには、データの値を実際にグラフに描きこんで見る手作業は必要である。

並べ替え済のデータを使ってはだめなのか?

データと点の対応関係を指導するだけなら、たとえデータが並び変わっていても問題ない。もしデータが並べ変わっていれば、数直線の左から順番に点をひたすら描いていくだけである。作業がすぐに肩がつく。所用時間がかなり違うと感じるのは私だけだろうか?並べ変わっているとミスをしたときに見直しやすいというのも大きい。

先に書いた評価基準では、ここは、思考・判断・表現を狙いとしている。だったら、なおさら理解とは関係ない作業は省略すべきてある。

ドットプロットを描くことで手作業ソートが自然にできることを学ばせるという主張もあるが・・・

手作業では、データのソートは難しい。このプロットの作業をすると、必然的にデータが並べ変わった形でいう。ソートのアルゴリズムでいうとバケットソート相当の作業である。

では、このアルゴリズムを数学のこの時間で学ぶべきかというとそうではない。

この単元で、手作業でソート作業で苦労すると、「図を描くのは面倒だから平均値だけでえいっと比べてしまえ」という学習を子どもがししてしまう可能性がある。「平均の値だけで考察をするとやけどするから、とりあえず分布がわかる図を描いとこうね。」というメッセージを伝える授業で、その逆の思考に至ることはねらいに適しているのだろうか?とてもそうだとは思えない。

描画をコンピュータでできないか?

上の図はRで描いた

上の図はRで

x <- c(45,47,50,52,54,54,57,60,63,63,67,68,74)
stripchart(x, method="stack",at=.02,offset=.5,pch=19,xlim=c(45,75))

として1つずつ描いたものを、スクショしたものである。描画画面を2つに割ってちゃんと描くとかすれば良いのはわかっているけど、Rを日常的に使ってないのでそこまで調べられない。ということでこの手抜きで描いた。

Excelでもできる

Excelでも似た図は簡単に描ける。連続データで横側に45から75という数字を並べた方眼紙を作って、丸を描く代わりにセルの塗りつぶしをして色をつけてやれば描ける。

図を示せば何を言っているかはすぐにわかるのだが、業務で使う可能性があるので当面省略。(そのうち載せるかも。今は画像検索があるから検索で身バレするとね・・・)

方眼紙でやった場合、整数と整数の間はくっつくことになる。これは厳密さを求める立場からはまずい。でも、手で点うつよりよっぽど楽しいし(セルの上で色ぬりボタンを押すだけ)、できあがったものもきれいである。

某社6年の算数教科書をみながらなぜデータを並べ替えてから処理しない?と思う(1)

データについて、情報の新で指導することが高級すぎる。どう考えても、単純な処理は、算数・数学で表計算を使ってきた前提で話が考えられているとしか思えない。

この点は、このブログでも何度も批判している。しかし、批判するだけでは生産的ではない。算数・数学の扱いでどう扱うかも考えてあげないとかわいそうということである。そこで、まずは現行の教科書の扱いを調べてみよう、ということで教科書を読書をした記録を以下書いていく。

6年の教科書に、データの扱いについてそれらしき単元があったので、その単元で見ていく。

教科書会社名・単元名など露骨に授業研究などするときに入力されるであろうワードで検索エンジンからヒットしないように、少しぼかして書く。

以下はT社のH27年発行小6の教科書のデータである(本来はちゃんと社名書くべきだが、社名をキーワードにした検索でひっかけたくないので)。

指導事項と想定時間数

Web上にある指導計画例によると、扱いとしては

  • 代表値による比較(2時間・復習と度数分布表をみることへの動機付け)
  • ドットプロット・度数分布表(3時間)
  • ヒストグラム(3時間)

の8時間扱いのようである。

平均値は5年で指導済

平均値は5年で指導済という前提で話は進む(知らなかった)。すなわち、手計算で平均値の意味を理解させる、といった指導はしなくて良いことに注意しておく。

扱われているデータ

ニワトリ小屋が2つあって、その2つの小屋のニワトリが卵を産んだという設定である。その設定で、ある1日に産んだ卵の大きさについて考察しようということである。

小屋Aのデータ

53 48 58 63 65 58 53 56 58 57 60 55 67 50 62 57

小屋Bのデータ

50 63 54 74 63 45 54 67 60 47 68 52 57

なお、最後まで、ほぼこのデータのみで押し通す。すなわち、演習問題ほぼゼロである。びっくりな扱いである。

1つのデータでデータ分析の流れを体験させる、という意味で、徹頭徹尾1つのデータで押す、というのはK社の高校の教科書でも似たような扱いである。

ただ、この方式には重大な欠点がある。データが個々のパーツを習得させるために最適化されたものでないため、個々の指導事項の習得が難しいのである。

導入・代表値の比較(2時間)

1つのデータだけでわかることを見る

まず小屋Aのデータのみでわかることを話し合おうということになっている。最大・最小・合計・平均を求めることを示唆している。

しかも、「最大」「最小」という単語は小学生は使ってはいけないらしく、「いちばんおおきな」というまだるっこしい書き方をしている。こんな扱いで小学校に統計を下ろしても社会と接続できないだろ、と突っ込みたくなる。「最大」「最小」って言葉使えなくて、どうやって実際のソフトを使うのと思ったり思わなかったり。

2つのデータを比較する

次に2つのデータを比較しようということになる。考えよう風で「こうしたら良いんじゃないか」と吹き出しで色々でてくるのだが、こんなの初見で中学生すら思いつかないだろう?と思う。

結局、話し合いなどさせず教科書の小屋Aと小屋Bの統計量の値を埋めて終わりというのが実際の指導であろう。

データのディスプレイがとんでもない

ここまでの指導事項を理解するために、のんびりと教科書のデータを眺めてみようとする。しかし、まったく何も読めない。データのディスプレイの方法がとんでもないからである。

紙面を節約するためか、きつきつでデータが並べられているのである。データのNo.に相当する部分を丸数字で書いて、その直後にデータを書いてを繰り返している(さすがにこれは貼り付けられない)。

要は

①23 ②52 ③ 31 .....
⑩32 ......

という形で並んでいるのである。

横一列か縦一列に並んでいない上に、丸数字も目に飛び込んでくる。そんなデータを目視して何を発見しろというのだろうか?

また、教科書は書き込みもしにくい。いきおい、手でデータをノートに縦1列に写してから書き込んで考察するのか?意味不明である。

並べ替えたデータを使って何が悪い?

この導入では、人間が見にくい形にわざわざ加工した生のデータを見て、それを使ってひたすら話し合う。はっきりいって何もわからない。ここでは「何もわからない」ことをわからせるために導入しているのだろうけど、それなら話し合いに時間をかける必要はない。

並べ替え済のデータを与えれば少し有意義な時間が過ごせそうでは。。。

並べ替え済のデータを与えれば、少しだて有意義な話し合いができそうである。

小屋A

48 50 53 53 55 56 57 57 58 58 58 60 62 63 65 67

小屋B

45 47 50 52 54 54 57 60 63 63 67 68 74

このデータを見れば、気の利いた小6なら

  • 小屋Aと小屋Bのサンプルサイズの違い(なんとなく)
  • Aは50台のデータがほとんど
  • Bは50台と60台が半々かな?
  • 小屋Bのみ70台のデータがある
  • 小屋Bの68と74はけっこう離れている

ぐらいもわかりそう。そして、そういうのに気づかせるのが本来の話し合いでは・・・

後の指導事項ではあるが、10ごとに区切って線を入れて比較しそうな子どもも出てくるかもしれない。

また、最小値・最大値などは並べ替えた上のデータを見れば3秒でわかる。

実データだったら並べ替えますよね・・・・とりあえず

この程度のサンプルサイズのデータの分布の特徴を把握するために、序盤でする作業の一つは並び替えである。外れ値がないかとか、なんとなく偏ってないかとか並べ替えで目視確認である。

ヒストグラム書けば良いんだけど、Excelとかだとめんどいし(2013以前のバージョン・2016でもグラフの挿入のボタンの位置を探すのが億劫)、描いたヒストグラムが一発でばしっとはまるかもあやしい。

手作業論者を軽くつぶしておく(詳細はあとできっちり潰す)

手作業が意義あるという論がでてきそうなのでそれを潰しておく。

ここでのねらいとの関係

まず、このサンプルサイズで平均を手計算することは無価値である。サンプルサイズが大きい場合は、コンピュータを使って良いと指導要領解説にも書いている。

平均を手計算することによる意味の理解の有用性はある。しかし、それは実データでやる必要はない。また、そもそも、その指導事項は5年で指導済の事項である。ここでの指導事項ではない。

ここで要求されている指導事項は、T社のWebサイトにあるおもな評価規準によると

  • 平均で比べることのよさに気づいている(関)
  • 資料の特徴を調べるときに、平均を用いることがあることを理解している(知)

となっている。この評価基準に到達するためには、平均を手計算する必要は一切合切ない。

むしろ手計算ではこの指導事項に逆に到達できないという屁理屈すら立つ。平均で比べることのよさは「簡単に1つの数字に要約できる」ことにあるはずだが、手でやると簡単でもなんでもないし。

コンピュータを使えない

ここで並び替えていないデータを与えてはならないと言い出す一派がいそうである。そういう一派は「子どもはコンピュータを使いこなせるようになるとは限らないので手でやらせるべき」である。

確かに、複雑なことをしないと並べ替えができないなら、その主張はあるかもしれない。しかし、並べ替えにはそれはあてはまらない。「データを1つの列に打ち込んで言って、一番上の部分ででA->Zボタンを押すだけ。」の一言で指導できる。この単純な並べ替えでつまづく人を見たことがない。それすら危ない子どもは、そもそも算数についてこれてない。

各種試験でも並び替えることは要求されていない。

平均についても、average関数やオートサムボタンならハードルが高いの言い訳は成立する。しかし、データを全部選んで下側にある平均値を見るという奥の手がある。さすがにその手でつまづく人はみたことない。

さらに正論で追い打ちをかけるなら、情報活用能力の育成が総則で求められている以上、実習をやって表計算でこの程度のことをできるようにさせるのも指導事項に含まれていると考えるべき、ということすら言える。

次回以降、教科書の指導事項を並べ替え済のデータでやるとどうなるか?を書いていく。

メモ帳でCSSは書きたくない

最近、たまにメモ帳で1ファイルの中にHTML+CSSを書くということがあったりする。

まあ、タグはなんとなくかける。それっぽいものも書ける。ただきれいにいかないのでいらいらする。

特に、PCとスマホの両方できれいに見た目を整えることができずにいらいらした。結局は、ある程度のとこで割り切ったんだけど釈然としない思いが残った。まあ、私が勉強不足なのが根本の原因だが。

フォント指定が難関

何も指定せず、ブラウザのデフォルトフォントである程度はばしっと決まってくれればそれが良い。しかし、決まらない。面倒だから放棄。特に、Safariのフォントのデフォルトが明朝だから、sans-serifぐらいは書いた方が良いと思わなかったでもないけど。

Googleでいろいろ聞いてその設定を貼り付けても良いんだけど、聞いてみると設定が長すぎて理解する気にならない。正確にいうと、理解はできるけどメモ帳のHTMLの中に貼り付ける気になる長さでないということである。

文字サイズや余白設定もわからない・・・

とりあえず、PCで見てるだけならピクセル適当に決め打ちながらあれこれすればそれなりになる。しかし、それであわせるとスマホではきっちりあわない。

手抜きCSSで両者に合わせる方法がよくわからない。というか、素で書いても両方である程度はちゃんと見た目がうまくいくようにブラウザがレンダリングしてくれよと思う。

特にiPhoneの文字サイズが小さすぎるので大きくしたいと思って文字サイズを大きくする。しかし、そうすると今度はPC側があれすぎての繰り返しである。

なんかちゃんと設定があるのは知っている。メディアクエリとかそういうのでなんとなくあるのも知ってる。でも、滅多に書かないので、そういうのを配慮するときにはフレームワーク側におまかせしてるしね・・・だって私Webの人じゃないもん。

端末で確認もできず

PCのブラウザと手元のiPhoneではまあ確認できる。しかし、Androidを持ってないので確認ができない。

それでも画像でやるよりかはまし

画像でやればある程度は見た目はそれなりになる。でも、それは情報発信の趣旨(やることの目的はデザインではなかった)に反することになるしね・・・

変なところに敏感なのが悪いわけで(余談)

(ある業界において)自称ホームページビルダーでホームページが(ホームページという言い方自体個人的には論外だが)が更新できます、の人は、色・余白・フォントサイズに関して鈍感である。そのため、さくさくと仕事が進んでいる。うらやましい・・・

だいたい、デザイナーでない人間にデザインをやらせるなという話である。しかし、そうはいってられない状況もよくある。

これだけいろんなところで発信する情報量が増えているのである。全てをデザイナーに丸投げということも無理でしょう。そうなると、デザイナーでない人間もある程度はデザインを学ばないといけないという話なんでしょうね・・・

自分の場合、おかしいのはわかるけど正しいのがわからないという中途半端なのが悪いんですよね・・・