時間をかける応用情報のセキュリティ対策(8)記事を書いた理由 世間の人たちはあまりに賢すぎるので

記事中,自分の主観を何度も入れて書きたくなったが,それは全部カットした。それらのいくつかをここに回した。

自分は(要領の良さを通り越した)ノー勉→後からちゃんと勉強した人(専門外・実務未経験)

最後に少し書くが,自分は勉強ゼロ(午前はノー勉かiTECの午前問題集をぱら見したか・午後は申込時に眺めたかどうかぐらいで1問も事前に解いてない)で応用情報を受かった。さすがにこれはまずいと思って,ネットワークスペシャリストを勉強したが,そのときに,やっと応用情報レベルの勉強がわかった実感が得られた感じ。(どんな勉強をしたかはそのうちまた書く)

ネットワークスペシャリスト用の勉強をしていてわかったことは,ちゃんとページ数のある本(字と説明がぎっしりとは言っていない)を普通に読む方がわかりやすいという常識的な事実である。そういう本を読んでいると,基本情報・応用情報の問題をふわっと解いてたときに意味不明なことについて,いや最初からその説明があれば普通のことですよ,それ,と思うことが多々あった。それが,こういう記事を書いている原点である。

応用情報勉強しなかったのも,元々の勉強嫌いもあるが,基本情報・応用情報の教科書のような単語と事実が羅列された本が読めなかったから,というのはある。後にキタミ式が出てずいぶんましになったと思うが(自分も教えるときにお世話になった)。

そして,教えるようになって全部基本的なところから見直して,少し目配りもできるようになったので,自分の受験経験と教育経験を足して二で割ってこういう記事を書いてる感じ。

教科書と過去問を素直に流してできるのは元々の素質を使っているからでは

結局,何か他の力がないととオーソドックスな勉強は成立しないと思うんですよね・・・

常識力を他人に求めるのは抑制したい

できる人は,常識は体験とか経験とか過去問で身に付くものでしょう,といった感じのことを言う。しかし,それはプールから突き落とせば泳げるようになるでしょう理論だと思う。世間の記事のそういう冷たさは嫌だなと常に思ってる。

だいたい,そういう常識力のある人は,他のところで手厚い教育とか文化資本とかによって常識が身に付いてるのである。完全自力と努力で身に付けた保証などない。自力だとしても,その自力ができるだけの遺伝的何かとか外生要因ゼロであるとは言い切れない。

そういった立場で,常識力弱い人にそれぐらい常識で身に着けろよ,というのは,恵まれた人の上から目線的な言動だと思う。よって,自分は意識して控えるようにしている。

大学受験

物理の予備校講師の人がtwitterで,大学受験物理の問題集作ってて,結局は,国語力だと書いてあったのをみて,いやそれは国語ではなく,理科そのもので身に付けるべきメタスキルなんですよ,と思った。

難しめの理科の入試問題と応用情報は本質的に非常にテイストが似てるので,こういう訓練を経た人は,この試験の問は国語に見えがちになるのも当然だと思う。そして,この手の合格体験記はそういう訓練を経た人がし書いてることが多いとも思う。

後は,関連して,大学受験は問題集がしっかりしてるからつまづきにくいので,もあった。それもその通り。そういう質の高い教材でメタスキルを身に付けた人は,勉強すればそれぐらい身に付くだろうとあるが,じゃあ,そういう高速道路のない世界で育った人に,この試験の質量の教材で同じことができるかというとそうでもない。

ただ,個人的には下手なベンダー試験よりかは100倍問題と教材の質が良いので,この試験の学習効果は相当高いと思う。ただ,その前提はある程度のメタスキルを持ってることを前提にしている。それがない人が,ただ暗記して無理です,となるのは浪費だよな,と思うのである。

ま,そこ言い切ってしまうと救いがないので,教材の使い方とか意識の使い方次第でもう少しましになるんじゃないの?と思ってこういう記事を書いてるとも言える。

努力ができるという能力を持つのに努力しない側を取るのは割が悪いような

毎日コツコツ業務後とか週末に応用情報の勉強をしてるとか,そういうのを見ると,それ自体が能力だと思う。

それにもかかわらず,難しいとか落ちたとか,もう何して良いかわからないとかいうのを読むと,ううんとなるのである。それだけ湯水のように時間を投入できるのに,なぜきちんと固めに行かないのかと。そういう状況で,時間投入が厳しい人のギャンブルと同じことをするのは何なんだろうかと。

自分からすると,そういう努力ができる人はうらやましくて仕方がない。自分は,こういう記事書くとか,そのための調査をするとか,過去問の研究だったら長時間机に向かえる。しかし,参考書を読む地道な勉強とか無理である。昔はそれすら面倒で,ごろ寝で本読むぐらいが唯一できることだった。そういう人からすると,いや単調な勉強に対する時間制約がないなんて,なんてイージーモードなんだと思うぐらい。

基礎重視のためにも基礎能力が必要という矛盾

瀬戸先生は,一問一答系で丸暗記で行くことに対して警戒感を抱いてて,もう少し考える方向の勉強をしましょうね,ということで色々書いている。方向はかなり正しいと思う。

ただ,その地道な基礎を積み重ねるにも基礎がいるといった感じ。勉強に対するスタンスとか思考の癖を,既に他の何かで身に付けてないと厳しいと思う。だいたい,あの文字数の本を読むということすら怪しい人もけっこういる。

色々考えて,私の中では絶望しかないことに気付いたけど。今の大学入試(中学入試)以外で,普通の人がこういうスキルをちゃんと訓練できる環境って皆無に等しいと思ってるので。

さすがにそれは救いがなさすぎるので,まあ,もう少しこの基礎を固めるの具体例をだめもとでいくつか書いてみますか?という記事を書いていっているとも言える。

世間の中途半端な短時間勉強で受かりました派に頭にきてる

だいたい,世間の大多数の記事はこうである。

その勉強時間で受かるということは,それまでの暗黙のIT経験とか社会に対するアンテナとか大学受験・大学の専門の勉強・研究で身に付けたメタスキルや勉強のやり方とか,あるいは実務経験や社会人経験によって暗黙に身に付いたこととか,そういうのが組み合わさって受かっているはずである。それを全部捨象して,短時間で受かりましたは違う。その持ってるメタスキル,身に付けるのにどれだけ訓練しましたか?

そういうメタスキルを問う試験が悪いといってるわけではない。そういう能力を自然と身に付けて受かったのも悪いのではない。応用情報はそれも込みで問う試験である。単純お勉強を意図した試験ではない。よって,単純お勉強では身に付けてないスキルを身に付けている人有利なのは当然。

ただ,そういうスキルを1週間の参考書によるお勉強とかドットコムで午前問繰り返したら身に付きました,みたいな感じで書いてることに反発しているだけである。そういうメタスキルがない人に向かって,少し勉強すればできますよ,みたいに変に希望を持たせる感じで書くのは違うと。いっそのこと,ノー勉楽勝,ぐらい潔くやれば勘違いがなくて良いとすら思う。

だいたい,勉強法記事とか体験記をまとめて書いて,それをインターネットに公開して,かつ検索エンジンにひっかかって他人に読んでもらえるレベルの時点で,かなりの(この試験に求められる)能力があるだろ,と言いたい。

自分はもっとひどいことをやってる

だいたい,自分は,世間のノー勉楽勝記事よりもっとひどいことをやってAP・DB・SCは受かってる。APなど,生きてたらいつのまにかAPの午前の問題が解けるようになってたことにふと気付いたので,これはありがたいと受けに行って取った。学部のときに情報系以外の周囲の理系が,基本情報をばたばた落ちる(or 勉強を途中であきらめる)のを見ていたので,ノー勉で基本情報より良いのとれるなんてラッキー!ぐらいの感覚。

自分は,別に何か特別に情報を勉強したことでできるようになったのではなくて,いつの間にか知ってた,という感じ。別に何かアプリ作れるわけでもない。さすがにNWのときは少し勉強したが。

よって,(文系未経験で・これも客観的事実)ノー勉言動とか少しの勉強で受かりました,はできないでもない。しかし,あえてしないのである。(スペックは低いが)それでもスペックで叩き込んだ自覚はあるので。

そんな感じなので,少し勉強して受かりました派には「本当のノー勉で受かってから言え」とついつい心の中で反発してしまうのである。

このシリーズはいったんこれで終わりにする。引き続き過去問研究をしているので,それはまた別のシリーズで書いていく。

なお,手元には選択問題について書いているのがあり,次はそのシリーズになると思う。

あと,書き溜めたものがありすぎて,長すぎるので,blogという形式になじまなくなってきたように思うので,そのうち一連の記事だけどっかサイト風にして切り出すことを検討中。