経済学部でベクトルを使うから数Bにベクトルを残せだけは違うと思う

色々とベクトルの数C先送りの件について思うことはある。

ただ、色々と見ていてこれだけは言いたいということを書く。この話題に限定すれば、基本的には自分の相対的に詳しいところだけで話ができるので問題ないはずである。よって、書くことにする。

理系は履習順の工夫で現状と同等の環境が確保できる

だいたい、この件は、理系には一切影響はない。数Bと数Cを1単位ずつ2年間履修する、とするだけで問題は解決する。よって、物理系の人々の批判は一切合切当てはまらない。そうなると、議論のメインは文系でどうか?という話になる。

以下は、理系の人が「経済ではどうこう」といってるのに個人的に少しいらっときたので、書いてみる、という話である。

なお、私は経済学の世界にあまり深く関わっていないし、遠ざかってからもかなりたつ。また、関わっていたときも、そんなに深く経済を勉強していたわけではない。したがって、不正確なこともあるかもしれない。

学部生向け = ベクトル・行列不使用

統計・エコノメ

(私が学部生をやっていた頃の)学部生向けのテキストの持つべき性質としては、ベクトル・行列不使用というものがあった。統計学計量経済学のテキストで、学部中級とそれより上を分ける決定的要素の一つであったはずである。シグマはまあ使っても良いかな、ということになっている。

なお、学部上級というのは、基本的にはほとんどの学生がやらないこと、と考えておいて良い。

ミクロ

ミクロの学部生の初級や中級の授業は、多変数の話を避ける方向に向かっていたはずである。1変数とか2変数でモデルの本質を理解すれば、学部生の段階としてはそれで良い、とされていたはずである。

ミクロもまた、テキストでベクトル表記を使うかどうかで学部中級かそれより上かが分かれていたはずである。仮に中級のテキストでベクトル表記があったとしても、それはその上級を目指す読者を対象とした中級のテキストのはずである。よって、実質上級とみなして良い。

大昔は、学部生の講義でも多変数を相手にすることもかなりあったらしい。しかし、最近はそういうものが減っていたはずである。その代わりに、現実につながりやすい話が増えてきているはずである。例えば、ゲーム論がなにがしかの形で絡んでくるタイプの話である。最近は行動経済学も、この仲間に入ってきているのではないかと思う。

変数の数を減らして議論する流れがある以上、多変数を相手にするための道具である線形代数は必要ない。そして、不確実性を扱う項目が増えた以上、確率の必要性は高まってきている。特に離散型の確率変数の表記(概念)や期待値の和の性質ぐらいは当たり前に使いたい。以上を踏まえると、文系数学からベクトルを落として確率を入れるのは、理にかなっているとすら言える。

だいたい、線形代数だ確率だという前に絶対に必要なるのは、数3の微分の一部(自然対数、指数・対数関数の微分など)である。1変数の最適化問題が解けないと、そもそも議論が何も前に進まない。確率やベクトルが登場するのはそれからである。

よって、まず微分(数3)、次に確率、そしてオプションとして線形代数である。ベクトルどうこうで騒ぐ前に、まず数3の微分を試験範囲に入れていないことを騒ぐべきである。

3回生向けの上級科目では理系1回生数学の簡単なレベルが必要となることもあるが

ご立派な大学では、学部3回生が研究者コースの(ここ重要)院生のコアコースと同じ科目を取ることができる科目がある。このケースで、ベクトルを含めた線形代数は不要と言い切るのは、さすがに無理だと思う。しかし、全国にそんな学生何人いるのか?せいぜい、何百人のオーダーではないかと思っている。

だいたい、そういう大学は理系数学を試験範囲として試験をすれば良いだけである。それで何も問題ない。

指導要領にどうこう言わずに入試科目を変えれば良いだけ

繰り返すが、経済系で理系数学が必要だというのであれば、理系数学を試験範囲として試験をすれば良いだけである。古典をなしにして、理系範囲の数学の試験をすることにすれば良いだけである。

大学側がそれをやらずに、文系数学の範囲を狭めると数学が必要な文系がああだこうだと言い始めるのはおかしな話である。

「高校側に遠慮してそんなことはできない」というが、現状、入試範囲の指定によって数Aを実質3単位やらせるということの強制を勝ち取っている実績がある。やればできるのという例が、少なくとも一例は出ているのだから、絶対にできないという言い訳までは通らない。

数学を勉強して経済学部に入学した人が報われる環境が用意されていますか?

だいたい、有名大学出身の素晴らしい能力をお持ちの方が(そしてなぜか当事者でない理系の人)「経済にはベクトルが必要だからどうこう」といっている。しかし、何を教えるか以前の、勉強する意欲を生徒に与えられる環境になっていますか?のところでどうかと思うことが色々ある。

数学を勉強しても活かす機会がなければ・・・

現状、普通の能力(ここ重要)を持った人が、普通に数学を勉強して普通の大学の経済学部に学して幸せになれるか?と聞かれたとき、それに肯定的に答えられる自信は私にはない。特に、有名大学でない大学に入学した場合はそうなる確率が高いと思われる。

(注 : 要は、カリキュラムとスタッフ依存の話なので一括りにできない面もある。ただ、その詳細を今は議論したくないので、有名大学という書き方にした。)

最悪のケースは、入学者の大半が数学ができないのだから、数学を使うような科目は最初からほとんど開講なし。制度覚えろとか歴史覚えろとかにする。そして、簿記を適当に混ぜる(経営)。そういう大学もある。

私のいた普通の大学の経済学部でも、数学を勉強していない側に授業設計が合わせられていた部分が多かった。よって、ううんとなったことも多かった。

ただ、自分は、そういった普通の大学にいても、様々な偶然によって作られた教育環境によって(活かせたとは言えないが)、高校のときにそれなりに数学を勉強したリターンはあった。(講義も含めてさぼりまくっていたのであれだが)それでも数学の勉強もできる環境はあった。しかし、そういう良心的でない大学も世の中には存在する(のも人づてに聞いている。)。

自分がこういう育ちをしているので、理系の人が無邪気に「経済学部は数学どうこう」と言うのを聞くと、血圧が上がるのである。

普通の能力をもった人が数学を勉強して入学したことが活かせる環境がなくて、どうして数学を勉強しろと言えるのだろうか?また、現状、普通の能力の生徒が文系数学をやったところで入試で報われる確率も高いとも言えない。その状況でどうして数学を勉強しろと言えるのだろうか?

よって、私は普通の能力の覚悟の決まっていない文系に数学を勉強しろとは言えない。はっきりいって、文系数学にどの内容を入れるか以前の状況であると思っている。