期待値を意思決定に活用するって数学教師が得意なこと?

お上は最近やたらと数学を日常で使う例をやれと行ってくる。例えば、パブコメ案の指導要領では、数Aの思考力・判断力・表現力の部分に「期待値を意思決定に活用したりすること」とある。

しかし、確率がからむ状況での意思決定は、数学教員になる人が受ける教育で自然と習うことなのだろうか?理工系の低回生の本を読んでいて、そういう感覚が身につくのだろうか?それは違うのでは?ということを実感するために、簡単な例をみてみる。

考察する状況

次の2つのお小遣を貰う方法について考える。

  • 方法1. 確率1で3000円をもらう。
  • 方法2. 確率1/2で10000円・確率1/2で0円ををらう。

考えられる問題例

方法1と2のいずれかを選択する権利があるものとする。どちらを選択すべきか?理由をつけて解答せよ。

想定解答例1

方法2.の期待値を計算すると5000円になる。これを方法1の3000円と比較すると2.の期待値の方が大きい。よって、2を選択すべき。

想定解答例2

確率1/2でお小遣いがもらえないという事態が発生するとものすごく悲しい。逆に、普通の人(解答者が想定している)は3000円もあれ十分に満足して生きていけるので5000円あってもうれしくない。よって、お小遣いがゼロになるリスクを無理にとる必要はないので方法1を選択すべき。

想定解答例2で出てくる概念は数学か?

まず、想定解答例2を見て、それなりに共感的に理解してあげられる数学教師はどれぐらいいるのだろうか。この書き方よりさらに適当に同じことが書かれているときに、生徒側の意を汲んで読んであげられるのだろうか。疑問である。

想定解答例2を正当化する教科書的な理屈はある。例えばこんな感じ。

  • 小遣いxから得られる満足度をu(x)とするとu(10000)とu(3000)はほとんど変わりない。
  • 流動性制約に直面していて、かつ、固定的支払いが発生する場合も、方法1が正当化される。例えば、小遣いをもらう方は携帯代の支払いといった固定支払いがある。もし預金0であり、確率1/2で0が出たらその時点で破産である。すなわち、u(0)は限りなく大きなマイナスになる。

さて、この屁理屈は数学なのだろうか?やっていることは、「期待値を日常の意思決定に生かしている」から派生している話である。よって、お上としては数学なのだろう。

しかし、この考え方は、経済学(やそれに類する意思決定の分野の)の教科書的な考え方である。となると、社会的な見方や考え方に分類されるはずなのだが、どうなのだろうか?

純粋無垢系の数学教員にふわっとした感覚はあるのか?

屁理屈を見てみると、もはやそこには数式は何もでてこない。この作業にラベルをつけるなら「屁理屈を正当化できるようなシナリオを作る」といったところだろうか。

こういう屁理屈を高校数学の教員がうまく語るというイメージはない。社会の人もそれをうまく語れるイメージはない。だいたい、こういった意思決定感覚を持っている人って学校現場にはあまりいかないんですよね・・・・それでも教えろというのか?

さらりと扱う問題なら解答例1のみの説明でも良いが

数学の時間だから想定解答1のみを扱えば良い、という意見もあろう。私も基本的にはその意見に賛成である。こういった日常っぽい問題を、単元の最後のおまけにさらっと扱うのであればそれで良い。その場合、「期待値の基準で判断せよ」と問題文に書いて、答えを一意に定めるようにしておくところであろう。

しかし、今度はこういった日常への応用を到達目標にしようというのである。そうなると、「期待値の基準で判断せよ」と書かずに、自分でどのような値を用いるかを適切に判断させる力まで込みで身につけさせるというのが求められている目標であるはずである。

どのような定式化で不確実性の下での意思決定を扱うべきか?について、多少踏み込んだ説明する場合、期待値だけで意思決定をして良い?で純粋無垢に話を終わらせて良いとは思えない。そんな世の中は不確実性は期待値だけで判断して良いという、リスクニュートラル人間を大量生産する教育が適切であるとは思えないのですが・・・

理系のハイパーな人は文系のことぐらいすぐわかるとはいえ(余談)

こういうリスクの話を理解するとき、自分の場合はミクロ経済学の感覚をベースに理解している。そして、それは高校数学とは別枠の教育を受けて得た感覚である。よって、これが高校数学教師のの専門性だとは思えないんですよね。

数学の良くわかっている人なら、文系の話は簡単にわかるから後から勉強すれば良いだけだ、という主張もある。しかし、仮にそれが正しいとしても、そういう優秀な人ないしリスクの話に興味が持てる人って、教員業界じゃなくて研究職や民間に行くとと考えるのが自然である。よって、教育業界にはあまりこういう話が好きな人は少なくなりそうである。そう考えるとますますリスクの話は学校で教えることではないと思うんですけどね。。。。