発信そのものが全くできないレベルで「受け手のことを考えて」と言われても・・・

情報の指導要領のパブコメ版を読みながら思ったこと・・・散発的に投げていく。まずは情報デザインのとこをぱっとみて思ったことを浅く。

情報デザインの「目的や状況に応じて」「受け手に分かりやすく情報を伝える」に?となった。なお、指導要領をコピーしたら、制御文字が入ってプレビューにエラーが出たのでカット。

高校生って情報発信する必要ないよね・・・

だいたい、私の知る狭い範囲では、何らかの伝えたい情報を持っている高校生は多いとは言い難い。情報を持っていたとしても、自力で表現できないケースも相当数あると思われる。特に、文字情報を使うものはそうである。ましてや、コンピュータを用いて、ある程度の情報量の発信を行うことに慣れているとは思い難い。

別に彼・彼女らが悪いわけではない。そもそも、先進的な高校生以外は、情報を発信して何かを動かそうという現実の強いインセンティブがない。その状況で、受け手のことなど考えられるはずもない。情報構造を工夫して、受け手に思ったことを伝えたいと思うわけもない。この手の話を聞いてすとっと落ちるのは、現実に受け手を動かさないとならない必然性がある状況に直面している、または、ある程度のアウトプットの経験を積んだ後である。

野球初心者に野村スコープを教えるか?

例えるのであれば、ストレートでど真ん中ですら投げることもできず、パッターを打ち取ることの楽しみもわかっていないピッチャーに対して、「緩急の付け方」「インコースの出し入れ」「美しいフォーム」を教えても????となるようなものである。最初は、「ホームベースに投げたボールが届く楽しさを教える」「ホームベースまで安定してボールを投げられるための練習」「バッターを打ち取る喜びを教える」のが普通であろう。

自分がスライドの指導する場合も、情報デザインのことは、あえて指摘しないことがほとんどである。指摘する場合も、生徒の能力と性格を見て慎重に行動を決める。だいたい、ほとんどの人は、まずは自由にボールをホームベースまで投げて野球の楽しみを知る段階であると判断しているからである。そんなときに、コースの出し入れのことをごちゃごちゃいうのは無粋である。

私が生徒を初心者とみなしている場合のスライドの指導は、まずはいかなるものでも良いので、生徒が考えたことを極力修正せずに物を作りきらせる、ということに重点を置く。そして、2単位であれば、これが精一杯(それもかなり色々な効率化をしたとしても)である。

他の科目でスライドを作る経験をしていることもある場合、初心者とみなすのはありえないという意見もあるかもしれない。しかし、たいていは、指導の都合上、形式面など様々なしばりを強くしているため。そのため、一から自分の頭で考えて作るということはほとんどない。したがって、その場合であれば経験があっても初心者と同じである。

なぜ楽しみから教えないとならないか?量がこなせないからである。この手の話は、物量をこなさないと身につかない。最初に、表現活動自体が苦痛(色々とごちゃごちゃ考えないとならない)ということになると、誰も量をこなさない。よって、最初は量をこなせるような下地を作る必要がある。それは、楽しさを教えることであったり、訓練を何度もできるような基礎体力をつけることであったりする(その意味で私はタイピングは重要だと考えている)。

情報デザインを扱うことは好きだけど

自分は情報デザインの話を扱うのは好きである。授業でもお話的によくする。Webサイトの情報構造をとりあげたことも何度かある。問題点を改善したデザインを提示して(自分でhtmlとCSSを書いて実際に作ってみせる)、何が問題か、を話す、というのは割と好きな授業である。

あるいは、自分が改善した案を例にした次のようなことも話すことがある。

  • この部分の読み手をこのように想定したので、この部分をこうデザインした。
  • この情報の閲覧頻度はこのようなものだと想定しているのでこのような部分に配置した。
  • メンテするほうが素人ということを前提にすると、こういうデザインにしておいたほうがコストが低いのでこのようなデザインにした。
  • デザインした人がこういう人間でこういう発想だからこういうだめデザインになる。

スライドのデザインの話も良くする。伝わるデザインあたりのエッセンスを抽出して話す。生徒の実例を見て、最大公約数的な問題点を抽出したスライドを作って、その改善案をみせたりすることもある。

しかし、この手の授業準備、特にwebサイトの改善の授業をするとき、プライベートの時間は相当に飛んでいく。授業準備中に頭や手を動かしていると、自分の色々な経験・知識・技能を総動員させていることも実感する。この実感からすると、これを生徒の知識・理解・技能で同じことを有限時間でやらせるのは厳しいと感じるのである。

70時間(2単位)で完結させて・・(余談)

「思考力を身につけさせることを目的とした実習によって情報デザインの力を身につけさせる」というのは、労働問題から考えても反対である。遅い生徒のフォローと評価をする時間だけで、ありえないぐらいの労働時間が発生する。

教材が十分に提供されない場合の教材作成時間も大変なことになりそうである。生徒の技能が怪しい状況で、それに合わせた教材を作るのは相当なことであろう。これは、非常勤のみで持っているケースでは大きな問題となる。

非常勤が多いという現実を見て!

情報は、非常勤のみで持っているケースもある。諸事情により、常勤がいても非常勤がメインで授業をするということもありえる。こういう状況では、授業の70時間以上は生徒・講師双方を拘束すべきではない。70時間で、実習も含めて最低限は全てが完結することを前提に設計してほしいと強く思うのである。

色々なテーマに、教師個人が趣味で技能を高めるために取り組むのは良い。しかし、生徒のそれに時間外で無償で付き合っていられるほど私は心が広くない。また、そんなことを前提にしたカリキュラムは、結局は誰も実行できずに骨抜きになる。

個人的には、LMSが入ってて、サービス残業がオンラインで色々完結するなら許せる。家でお茶すすりながら色々できるので。しかし、大人の事情によって、そんな環境は絶対に整わないと言える。

こういうハードな指導要領が出てくると、立派な先生の素晴らしい取り組みがでてきて世間でもてはやされることになるのが見えている。しかし、その取り組み、非常勤の制約でも同じ成果があげられるのか?と強く思う。

求む!インスタントな実践

個人的には、生徒のレベルを問わず、インスタントな準備で適当な指導力でやって効果があがる実践こそ、素晴らしい実践であると思っている。そして、この考え方が情報固有の見方・考え方なのではないかとも思っている。

良いシステムは皆を幸せにするのである。素晴らしいシステムが開発されることで、下々の単純労働がちゃらになるというのは、まさに情報固有の見方・考え方ではないかと個人的に思う。

情報デザインの考え方に関連付けるなら、シンプルで誰でも使えて同じ効果があがるというシステムが良いのである、ということと同じである。

誰でも授業できるなら専門家いらないって?誰でもできるシステムを作るということそのものが、高度な専門性である。そのための専門家は一定数は雇っておく必要がある。ただし、その専門家のタイプは、この業界で考えられてるものと違うものとなるべきである。「リアルタイムな授業が上手い人」とは違う全く専門性が必要になる。