キーボードの使用許可は手書きが厳しい人への配慮として機能しない場合がかなりありそう

高校の次期指導要領のパブコメ募集が出た。私の本業は情報であるが、国語の指導要領に特に注目していた。情報は、色々と理系風に高度化したがってるから、現状の何かを追い出さないといけない。その追い出し先が国語になりそうだったからである。期待としては、国語にメディアリテラシー風の話やプレゼンは丸投げ、あわよくば情報モラルは公共に丸投げ(これは失敗したが)というのがあった。期待通り、レポートとプレゼンは国語に丸投げに成功した。

私は社会科学出身の文系だが人文系ではないので、メディアリテラシーや文章・会話表現は教えたく無いのである。正確に言うと、教えられないことはないけど、国語教師の考える正しい国語に合わせて教えないとならないのがストレスなので嫌なのである。あとは、書くことの単発の指導ぐらいなら情報の人でもできるけど、基礎から積み重ねていって技能を習得させる指導については、やはり国語の方がプロなので効率が良い。よって、情報から消えてくれたほうが楽しい。

国語でPCが許されたとしても文字をキーボードで入力できるのか?

次期要領の国語の書くことは、期待以上であった。最もうれしかったのは、書くことの時間数をきちんと縛ってくれたことである。それも、「現代の国語」だけでなく「論理国語」までそうなった(追記注 : 現行でも国総は縛ってるけどスルーされている。古典ともセットなのでどうとでも逃げやすい。)。これで、学習指導要領を盾に「レポートとプレゼンは国語の仕事なので私は知りません(国語の免許はもってないし)」と言えるのである。嬉しい限りである。

しかし、押し付けられた国語は色々と大変であろう。例えば、この時間数で国語で書くことに取り組ませるとなると、手書きではきつい生徒も出てくると思われる。PCの使用を許可せざるを得ないケースもありそうである。だいたい、例示されている活動に「画像」というキーワードがちらっと見えた。画像を含む文章を手書きで扱うとも考えにくい。PCでやると考えるのが自然である。また、いくつもの例示されてる活動も、これは普通は手でやらないよな、というものが多数ある。

さて、今でも先進的な方々は、障害等に対する配慮としてPCによる文字入力の許可を要求している。しかし、それが仮に許されたとして、キーボードはそんなに簡単ではないぞと心の中で思っている私がいる。

以下、詳細に踏み込むことを避けるためにわかりにくい書き方になるかもしれないが、書ける範囲で思うことを書く。

仮に配慮を要する生徒に関してキーボード使用を認めたとしてですよ。本当にその人達タイピングもできるのか?私が見てきた傾向として、手書きが苦手な生徒は、タイピングの習熟も遅い傾向がある。あるいは、何らかの指導の工夫がないと伸びていかないという傾向もある。もちろん、例外も相当数あるので、やらせてみる価値は十二分にある。

タイピングの習熟が難しいケースに関しては、業務で様々なメニューを試してきた。それによって効果が上がったケースもそれなりにある。しかし、どうしようもないものはどうしようもないケースも存在することを痛感している。

超重症患者は手がまっすぐに置けない・指の曲げ伸ばしが難しい

習熟が遅いを通り越してしまったケースに共通する問題としては、キーに対して平行に指を置くことが難しい、というのがある。また、指を適切に曲げ伸ばしできないという問題も併発していることがほとんどである。この問題以外は時間をかけて、症状に応じた適切なメニューを実行させれば、クリアできることは実感している。

キーに平行に対して指が置けないケースに対して、安物のエルゴノミクスキーボードを試したケースもある。この方法で改善したケースもある。使ったキーボードが安物だったため、傾斜が適切でなく、それで合わないでだめとなったケースもあったが。

できないケースの様子を観察している感じだと、左右分離型のキーボードで自分に合った角度をつけてあげれば、なんとかなりそうという実感が得られている。しかし、お値段が2万円弱である。今の私の経済状況では試せない。

うまく行きにくい情報がもう少し表に出てきて欲しい

最近、私が思うことに、タイピングの練習の効果が上がりにくいケースが、もっと積極的に表に出てきて欲しいというのがある。今、インターネット上に落ちている情報の大半は「タッチタイピングは、適切な方法で適切な期間練習をすれば誰でも簡単にできる。最大のハードルは、練習方法の情報が行き渡ってないことと練習時間の確保である。」といったものである。私も数年前まではそれを信じていた。しかし、それがあてはまらないケースをそれなりに経験した今は、そんな無邪気なことは言えない。

こういった、タイピングは「いかなる人にも」簡単、という情報のみが氾濫する状況で困ることは、タイピングができないのは指導法が悪いとか本人の努力が悪いとかいうことになってしまうことである。困難な人には困難なんだから温かく見守ってあげないとね・・・

今は、タイピングをさらっと指導できるケースしか表に出てきていないと思われる。さらっとできないケースを無理して指導するインセンティブがゼロだからである。やらせていなければ、何の問題も表に出るわけもない。しかし、書くことの時間数が増えてきたら、さらっとタイピングが指導できないケースでもせざるを得ないシーンもでてきそうである。そうすると、もう少しタイピングが困難なケースが表に出てくるのではないかと期待している。

どうせ骨抜きか手書きかになりそうだけど

もっとも、国語の件は、ここまで過激に書かれたら「どうせやるの無理だから全部骨抜き」というのが、今のところの私の予想の本命である。

ただ、それでも「建前としては国語の責任」と言い切れる状況ができたことだけで私は十分(だけど社会全体としてはどうかと思うが)。

追記(2/18)

現在でも国総は書くことの時間数の明示はあった。冒頭のかき回しだと、現在は時間数縛りがない感じになるので良くない。確かに見た記憶もある。

情報の授業をするために、国総の教科書もそれなりに参考にしたことがあった。国総では、現行でも確かにそれなりに書くこと・話すことは存在するのは把握していた。ただし、指導要領本文側の縛り方が薄かったようなイメージがあったので、それに比べたらきつく縛ったなというイメージである。

そして、現代文Bでは書くことはスルーしても問題ないようになっている。さらに、現行では指導要領側(解説はともかく)に活動の例示もこんなにない。さすがにこの書き方では国語以外の人に「レポートとプレゼンは国語の仕事だ」とやるのは難しいのである。国語の先生に対してはは通用するものの、そういうのが通用する国語の先生は非常に優秀な方なので、そもそも最初から敵対しない。

現在の書き回しでは、書くことや話すことをスルーした国語をあまり責められないようなイメージがある。特に国表を開講していない場合はそうである。ぱっとみ、新の書き回しなら、これならレポート・プレゼンは国語の責任に完全にできるという印象を持った。よって、冒頭の書き回しである。

正直、国語がやるかどうかという実態はどうでも良いのである。情報が今後わけわからないことを教えたときに(絶対にそうなる。あんなの生徒が理解できるわけない。これはそのうち詳しく論じる。)、「もっとわかりやすく楽しいことを教えろ」とか「実社会で役立つレポート・プレゼンを教えろ」という声が絶対にでるに決まってる。そのときに、対生徒・対その他いろいろを突っぱねたいのである。(いつまでこの仕事するかわからないけど)私が、本来教えるべきことでないことについて、責任逃れできればそれで良いのである。

(生徒が理解しにくい)統計やモデリングを教えれば数学だと言われ、(生徒がやった感がでる)プレゼンを教えるのが情報だというの屁理屈はさっさと却下したいのである。

情報Iがどのようなものになっても「プレゼンは情報で面倒みろ」というわけわかめな理屈は出てくると思われる。それをはねのけようと思ったら、情報科の学習指導要領を盾に抵抗するのは弱い。誰でもわかる、主要教科の国語の指導要領を盾に取るしかない。その盾が大幅強化されたというのが今回の私の印象である。この盾であれば誰とも戦えると。