それなりの入力速度がないと作文にPCという選択は消されやすい

PCを作文に使うことを前提にしたとき、どの程度の入力技能が身についていればストレスなく使うことができるのだろうか?

情報の人間のはしくれとしては、生徒の「手書きを好むからPCが合わないからいかなる場合も使わない」という言は「自分のキーボード入力の技能がPCを作文に使える水準まで達してない」をオブラートに包んで表現しているようにしか見えない。では、どれぐらいのキーボードの習熟度があれば、特性に関わらず(例えば、整った字が書けないのなら、PCの習熟度に関わらず消去法でPCが選択される)PCを作文に使うことが検討に上がってくるのだろうかを考えたい。それに関連した数値をだらだらと書いていく。

手書きと同等の速度は最低線(1分40文字)

PCの入力については、手書きととんとんになるのが1分で40文字(漢字変換もして)と考えておけば良い。経験則ではあるが、ソースもいくつかはある(ただし、少し根拠としては薄い)。もっとも、これは手元で実験すれば良いだけの話である。そして、その結果、そう大きな誤差はないだろうと思っている。よって、どんなにコンピュータが苦手でも1分40文字のラインは目指すように指導することが多い。

PCを作文に使う場合は、書かれている文字を清書する形で入力する場合より条件が良い。よって、清書で計測される速度は少し少なくても良いという考え方はありえる。以下、条件が良いと考えられる理由2つ。

  1. 入力速度の計測は、通常他人が書いた文字を目で見て入力することによって計測する。しかし、作文の場合は自分の中にあるものを書けばよいので、見るという動作が省略できる。よって、早く打てる。
  2. 入力速度の計測は通常5分や10分のまとまった時間で行われる。しかし、作文の場合は思いついた文を打つのはせいぜい30秒ぐらいの連続した時間である。よって、5分もコンスタントに速度をキープできる必要はない。

ただし、タッチタイピングが無意識でできるようにしておくということについては厳しく追求しなければならない。考えながら打とうと思うと、タイピング動作に気を取られていると、考えが頭から消えるからである。

多くの場合、タッチタイピングを習得すべきとする理由はタイピングを早くするためである。しかし、私の場合は、それよりもタッチタイピングでないと「考える道具」としてPCを使えないという側面の方を重視している。よって、少々入力が遅くてもタッチタイピングの習得を優先して指導している。

理想を言えば(音声は1分300文字・・・)

1分40字だと手書きとPCの入力速度が釣り合うというだけである。手書きとPCの速度が同等の状態でストレスを感じずに書けるかは個人差があると思う。少なくとも私はこの程度の速度ではストレスを感じる。

私はローマ字では1分で90文字程度(日検のワープロ検定1級で測定)入力できる。しかし、ローマ字で作文をしてはストレスがたまる。JISかなだと1分100文字程度であるが、それでもストレスがたまる。加えてローマ字やかなだと手がからむのでストレスで仕方がない。

親指シフトであれば1分で140文字程度である。これでやっとストレスがたまらずに文章が書ける。アナウンサーが話す速度が1分300文字と言われている。その半分ぐらいになる。他人の文章なので遅いので、実際は1分180程度は瞬間で出ているとして、話す速度の6割である。

PCの作文を叩くなら条件を整えた状態で比較してからにしてほしい

生徒にPCを使わせたくない側の言い分として、手書きより遅いとかキーボードに思考を取られるからうまく書けなくなるから手で書かせたくないというものがある。情報側の人間からすると、遅いのを早くするように鍛えるのも教育とか、遅いことを痛感させて必然性を心からわからせるのも教育と言いたい。しかし、そういうことが通る世界でもない。

このような状況なので、情報を教える人間の端くれとしては、他教科の「PCで文字が打てなのでPCは使わせにくい」という言い訳はびしっと消しておきたい。少なくとも私が指導する場合は、そのように心がけて指導をしている。現在の情報教育の趨勢の中でそれを貫くのはストレスがかかるが。

だいたい、キーボードは冷遇されすぎである。手書きは国語で時間をとって小学校から鍛えている。キーボードだって文字を表現する手段としては同等である。だったら、国語でそれなりに時間を取って鍛えろという主張もしたくなる。

そもそも論に帰れば、ローマ字入力は国語科で小学校で身につけさせることになっているのである。なお、実は情報ワーキングにはしれっと間接的にそんなことも書かれている(基本操作はそもそも他教科で道具として使っているはずなんだから、高校段階でつまづいてたとした場合、情報科以外でも指導しろ。)。

なお、手書きが創造的な文章を作るなどという研究も承知はしている。しかし、だからといって、この世の中でPCで何も書かずに渡っていけるとは思えない。よって、PCを選択できない状態にするのは無責任であると考えているだけである。少なくとも、PCでの作文を放棄するのはPCでの作文をそこそこできるようになってからで良いのではないかと思う。