高校でその学部に行く学生を作れないと滅びる学部って何ですか?

某所で見たつぶやきで、この方向で国語のカリキュラムが進んで行くと、文学部に行く学生はいなくなる。そんなので良いのか?とつぶやいてた。さすがに怒り狂った。

それに関連した暴論。燃える中身ですが、影響力のないブログなので燃えないでしょう。。。。

必修にこだわりすぎ

国語の人間は、小説や古典を必修でやらせているという既得権を当然のものとして議論を始めているところが、どうかと思うところである。

文学部に行く人を作るために古典や小説を高校でそこそこ深く教えたければ、それを必修で扱う必要もない。選択で開講して、好きなだけ深く突っ込めば良いだけである。だいたい、今も、一部の大学は文学部だけ別の国語の問題作ってるでしょ?それをもっとやれば良いだけ。

だいたい、学校の授業で文学に興味を持って、文学部に行きたいって思った人はどれぐらいいる?古典は強制で触れないと厳しいかもしれないけど。高校で必修でなくなるぐらいで滅びる程度の魅力しかない文学部なら、一回文学部など滅びてみろとも言いたくなる。

(注 : 私は文学部の授業に出入りしていたこともある。よって、文学部の存在自体には肯定的な立場。ただ、特権階級をふりかざして高校で全員必修という影響力を行使しようとしたいることに切れているだけである。)

経済学部はもっと冷遇されてます

国語の授業で文学をやらないで文学部がつぶれるなら、経済学部はとっくに潰れている。現代社会や政治経済でまともに経済学など教えられていないし。まともに教えられる人もあまりいないし。あれで経済に興味を持って経済学部に行く人などいるのか?

さらに、入試も極悪である。経済学部に行きたい人をつぶす入試である。だいたいのまともな大学では、古典ができないと経済学部に行けない。現代文ですら、経済学の教科書を読む感覚とは明らかにかけ離れた、もはや古典ともいえる人文の趣味の評論とか変な社会科学系の人の評論が読めないとならない。

だからって経済学部の人が、「高校教育がおかしい、このままでは日本が滅びる。」と主張したことありますか?したらしても叩かれるでしょう。人文系なら同じ発言を堂々として良いとできる理由がわからない。

某社6年の算数教科書をみながらなぜデータを並べ替えてから処理しない?と思う(2) ドットプロット

後でちゃんとリライトして、関連記事のリンクなど貼るとする。内容は前回の続きである。完成品をちゃんと書こうとしたらいつまでも未完成なので、不完全でもアップしていく方針を取る。

実は、ここで書く話は全てPowerPointできれいにまとめた図がある。しかし、それは業務関連で使おうと思っているので載せられない。。。

データの再掲

ソート前

小屋Aのデータ

53 48 58 63 65 58 53 56 58 57 60 55 67 50 62 57

小屋Bのデータ

50 63 54 74 63 45 54 67 60 47 68 52 57

ソート済

小屋A

48 50 53 53 55 56 57 57 58 58 58 60 62 63 65 67

小屋B

45 47 50 52 54 54 57 60 63 63 67 68 74

ドットプロットを描く

教科書ではここで数直線上に点を取らせて言っている。おおざっぱに言うと次のような2つの図を用意させている。小屋Aを見本で、小屋Bを自力で作業させることになっている。

小屋A f:id:baruku07:20180813230535p:plain

小屋B f:id:baruku07:20180813230622p:plain

教科書で、目がもう少し細かくて、それも点を打つ時に①のようにデータ番号を入れた点にしろと言っている。

図からわかることを考えるのが趣旨なのにちゃんとやると全て中学校の指導事項になるというオチ

評価基準は

  • 散らばりの様子を調べる必要性について考え、資料を統計的に考察することができる。(考)

実質レンジを求めさせてる

教科書では、まず、設問として範囲(最大-最小)を計算させる設問が付いている。範囲は中学校指導事項では?と思わないでもない。設問の意図を指導者がわかってない場合は、ただの作業となり悲惨である。

せっかくレンジをもとめさせたのであれば、数直線の最大と最小を結ぶ線を、数直線の下に描けば良いのにと思う。そうしたら、AとBの長さが違う、すなわち、レンジの意味での散らばりが違うということが視覚的に明らかになるのだから。そして、最大-最小の計算は、この長さを計算させた、ということになるという説明で終わりなのに・・・

平均値のまわりにデータが散らばるとは限らないが言いたいことらしい

平均値の値の部分に追加でマークをいれさせる設問もある。その上で、データは常に平均値の周りに集まるのだろうか?という設問をつけている。たぶん、小屋Bのデータをみてそうではないと言わせたいのでしょう。

なお、それ以上の踏み込みがないということである。小屋Aは平均周りにちらばってて小屋Bが平均周りにちらばっていないという傾向が明らかになったのだから、「ゆえに平均値の比較はこの場合は適切でない可能性もありえる」というメッセージがぱっと思いつく。しかし、そういうメッセージはどこにも書かれていない。

小屋Bのデータでいうと75はちょっと飛んでる値だからそれも少しだけ頭の片隅に置いておかないと・・・などということはないのである。並び替えする意味って、こういう異常値(この場合は異常ではないと思うが)を見つけるのが一つの重要な目的なのだから、これも指導しないということは私の感覚ではありえない。

とにかく中途半端

以上で書いた指導事項は中1ということになっている。しかし、ドットプロット描かせておいて、平均だけはみてはならないことを示唆しておいて、でも「なぜそうなのか」をちゃんと説明するのは中学である。この説明なら「平均だけみて判断して何が悪い。図なんて面倒なことをしなくて良い。」居直られてもなんの文句も言えない。

作業の検討

点を描くという手作業は一回は経験しておくべき

グラフの点が何を意味しているかを知るためには、データの値を実際にグラフに描きこんで見る手作業は必要である。

並べ替え済のデータを使ってはだめなのか?

データと点の対応関係を指導するだけなら、たとえデータが並び変わっていても問題ない。もしデータが並べ変わっていれば、数直線の左から順番に点をひたすら描いていくだけである。作業がすぐに肩がつく。所用時間がかなり違うと感じるのは私だけだろうか?並べ変わっているとミスをしたときに見直しやすいというのも大きい。

先に書いた評価基準では、ここは、思考・判断・表現を狙いとしている。だったら、なおさら理解とは関係ない作業は省略すべきてある。

ドットプロットを描くことで手作業ソートが自然にできることを学ばせるという主張もあるが・・・

手作業では、データのソートは難しい。このプロットの作業をすると、必然的にデータが並べ変わった形でいう。ソートのアルゴリズムでいうとバケットソート相当の作業である。

では、このアルゴリズムを数学のこの時間で学ぶべきかというとそうではない。

この単元で、手作業でソート作業で苦労すると、「図を描くのは面倒だから平均値だけでえいっと比べてしまえ」という学習を子どもがししてしまう可能性がある。「平均の値だけで考察をするとやけどするから、とりあえず分布がわかる図を描いとこうね。」というメッセージを伝える授業で、その逆の思考に至ることはねらいに適しているのだろうか?とてもそうだとは思えない。

描画をコンピュータでできないか?

上の図はRで描いた

上の図はRで

x <- c(45,47,50,52,54,54,57,60,63,63,67,68,74)
stripchart(x, method="stack",at=.02,offset=.5,pch=19,xlim=c(45,75))

として1つずつ描いたものを、スクショしたものである。描画画面を2つに割ってちゃんと描くとかすれば良いのはわかっているけど、Rを日常的に使ってないのでそこまで調べられない。ということでこの手抜きで描いた。

Excelでもできる

Excelでも似た図は簡単に描ける。連続データで横側に45から75という数字を並べた方眼紙を作って、丸を描く代わりにセルの塗りつぶしをして色をつけてやれば描ける。

図を示せば何を言っているかはすぐにわかるのだが、業務で使う可能性があるので当面省略。(そのうち載せるかも。今は画像検索があるから検索で身バレするとね・・・)

方眼紙でやった場合、整数と整数の間はくっつくことになる。これは厳密さを求める立場からはまずい。でも、手で点うつよりよっぽど楽しいし(セルの上で色ぬりボタンを押すだけ)、できあがったものもきれいである。

某社6年の算数教科書をみながらなぜデータを並べ替えてから処理しない?と思う(1)

データについて、情報の新で指導することが高級すぎる。どう考えても、単純な処理は、算数・数学で表計算を使ってきた前提で話が考えられているとしか思えない。

この点は、このブログでも何度も批判している。しかし、批判するだけでは生産的ではない。算数・数学の扱いでどう扱うかも考えてあげないとかわいそうということである。そこで、まずは現行の教科書の扱いを調べてみよう、ということで教科書を読書をした記録を以下書いていく。

6年の教科書に、データの扱いについてそれらしき単元があったので、その単元で見ていく。

教科書会社名・単元名など露骨に授業研究などするときに入力されるであろうワードで検索エンジンからヒットしないように、少しぼかして書く。

以下はT社のH27年発行小6の教科書のデータである(本来はちゃんと社名書くべきだが、社名をキーワードにした検索でひっかけたくないので)。

指導事項と想定時間数

Web上にある指導計画例によると、扱いとしては

  • 代表値による比較(2時間・復習と度数分布表をみることへの動機付け)
  • ドットプロット・度数分布表(3時間)
  • ヒストグラム(3時間)

の8時間扱いのようである。

平均値は5年で指導済

平均値は5年で指導済という前提で話は進む(知らなかった)。すなわち、手計算で平均値の意味を理解させる、といった指導はしなくて良いことに注意しておく。

扱われているデータ

ニワトリ小屋が2つあって、その2つの小屋のニワトリが卵を産んだという設定である。その設定で、ある1日に産んだ卵の大きさについて考察しようということである。

小屋Aのデータ

53 48 58 63 65 58 53 56 58 57 60 55 67 50 62 57

小屋Bのデータ

50 63 54 74 63 45 54 67 60 47 68 52 57

なお、最後まで、ほぼこのデータのみで押し通す。すなわち、演習問題ほぼゼロである。びっくりな扱いである。

1つのデータでデータ分析の流れを体験させる、という意味で、徹頭徹尾1つのデータで押す、というのはK社の高校の教科書でも似たような扱いである。

ただ、この方式には重大な欠点がある。データが個々のパーツを習得させるために最適化されたものでないため、個々の指導事項の習得が難しいのである。

導入・代表値の比較(2時間)

1つのデータだけでわかることを見る

まず小屋Aのデータのみでわかることを話し合おうということになっている。最大・最小・合計・平均を求めることを示唆している。

しかも、「最大」「最小」という単語は小学生は使ってはいけないらしく、「いちばんおおきな」というまだるっこしい書き方をしている。こんな扱いで小学校に統計を下ろしても社会と接続できないだろ、と突っ込みたくなる。「最大」「最小」って言葉使えなくて、どうやって実際のソフトを使うのと思ったり思わなかったり。

2つのデータを比較する

次に2つのデータを比較しようということになる。考えよう風で「こうしたら良いんじゃないか」と吹き出しで色々でてくるのだが、こんなの初見で中学生すら思いつかないだろう?と思う。

結局、話し合いなどさせず教科書の小屋Aと小屋Bの統計量の値を埋めて終わりというのが実際の指導であろう。

データのディスプレイがとんでもない

ここまでの指導事項を理解するために、のんびりと教科書のデータを眺めてみようとする。しかし、まったく何も読めない。データのディスプレイの方法がとんでもないからである。

紙面を節約するためか、きつきつでデータが並べられているのである。データのNo.に相当する部分を丸数字で書いて、その直後にデータを書いてを繰り返している(さすがにこれは貼り付けられない)。

要は

①23 ②52 ③ 31 .....
⑩32 ......

という形で並んでいるのである。

横一列か縦一列に並んでいない上に、丸数字も目に飛び込んでくる。そんなデータを目視して何を発見しろというのだろうか?

また、教科書は書き込みもしにくい。いきおい、手でデータをノートに縦1列に写してから書き込んで考察するのか?意味不明である。

並べ替えたデータを使って何が悪い?

この導入では、人間が見にくい形にわざわざ加工した生のデータを見て、それを使ってひたすら話し合う。はっきりいって何もわからない。ここでは「何もわからない」ことをわからせるために導入しているのだろうけど、それなら話し合いに時間をかける必要はない。

並べ替え済のデータを与えれば少し有意義な時間が過ごせそうでは。。。

並べ替え済のデータを与えれば、少しだて有意義な話し合いができそうである。

小屋A

48 50 53 53 55 56 57 57 58 58 58 60 62 63 65 67

小屋B

45 47 50 52 54 54 57 60 63 63 67 68 74

このデータを見れば、気の利いた小6なら

  • 小屋Aと小屋Bのサンプルサイズの違い(なんとなく)
  • Aは50台のデータがほとんど
  • Bは50台と60台が半々かな?
  • 小屋Bのみ70台のデータがある
  • 小屋Bの68と74はけっこう離れている

ぐらいもわかりそう。そして、そういうのに気づかせるのが本来の話し合いでは・・・

後の指導事項ではあるが、10ごとに区切って線を入れて比較しそうな子どもも出てくるかもしれない。

また、最小値・最大値などは並べ替えた上のデータを見れば3秒でわかる。

実データだったら並べ替えますよね・・・・とりあえず

この程度のサンプルサイズのデータの分布の特徴を把握するために、序盤でする作業の一つは並び替えである。外れ値がないかとか、なんとなく偏ってないかとか並べ替えで目視確認である。

ヒストグラム書けば良いんだけど、Excelとかだとめんどいし(2013以前のバージョン・2016でもグラフの挿入のボタンの位置を探すのが億劫)、描いたヒストグラムが一発でばしっとはまるかもあやしい。

手作業論者を軽くつぶしておく(詳細はあとできっちり潰す)

手作業が意義あるという論がでてきそうなのでそれを潰しておく。

ここでのねらいとの関係

まず、このサンプルサイズで平均を手計算することは無価値である。サンプルサイズが大きい場合は、コンピュータを使って良いと指導要領解説にも書いている。

平均を手計算することによる意味の理解の有用性はある。しかし、それは実データでやる必要はない。また、そもそも、その指導事項は5年で指導済の事項である。ここでの指導事項ではない。

ここで要求されている指導事項は、T社のWebサイトにあるおもな評価規準によると

  • 平均で比べることのよさに気づいている(関)
  • 資料の特徴を調べるときに、平均を用いることがあることを理解している(知)

となっている。この評価基準に到達するためには、平均を手計算する必要は一切合切ない。

むしろ手計算ではこの指導事項に逆に到達できないという屁理屈すら立つ。平均で比べることのよさは「簡単に1つの数字に要約できる」ことにあるはずだが、手でやると簡単でもなんでもないし。

コンピュータを使えない

ここで並び替えていないデータを与えてはならないと言い出す一派がいそうである。そういう一派は「子どもはコンピュータを使いこなせるようになるとは限らないので手でやらせるべき」である。

確かに、複雑なことをしないと並べ替えができないなら、その主張はあるかもしれない。しかし、並べ替えにはそれはあてはまらない。「データを1つの列に打ち込んで言って、一番上の部分ででA->Zボタンを押すだけ。」の一言で指導できる。この単純な並べ替えでつまづく人を見たことがない。それすら危ない子どもは、そもそも算数についてこれてない。

各種試験でも並び替えることは要求されていない。

平均についても、average関数やオートサムボタンならハードルが高いの言い訳は成立する。しかし、データを全部選んで下側にある平均値を見るという奥の手がある。さすがにその手でつまづく人はみたことない。

さらに正論で追い打ちをかけるなら、情報活用能力の育成が総則で求められている以上、実習をやって表計算でこの程度のことをできるようにさせるのも指導事項に含まれていると考えるべき、ということすら言える。

次回以降、教科書の指導事項を並べ替え済のデータでやるとどうなるか?を書いていく。

メモ帳でCSSは書きたくない

最近、たまにメモ帳で1ファイルの中にHTML+CSSを書くということがあったりする。

まあ、タグはなんとなくかける。それっぽいものも書ける。ただきれいにいかないのでいらいらする。

特に、PCとスマホの両方できれいに見た目を整えることができずにいらいらした。結局は、ある程度のとこで割り切ったんだけど釈然としない思いが残った。まあ、私が勉強不足なのが根本の原因だが。

フォント指定が難関

何も指定せず、ブラウザのデフォルトフォントである程度はばしっと決まってくれればそれが良い。しかし、決まらない。面倒だから放棄。特に、Safariのフォントのデフォルトが明朝だから、sans-serifぐらいは書いた方が良いと思わなかったでもないけど。

Googleでいろいろ聞いてその設定を貼り付けても良いんだけど、聞いてみると設定が長すぎて理解する気にならない。正確にいうと、理解はできるけどメモ帳のHTMLの中に貼り付ける気になる長さでないということである。

文字サイズや余白設定もわからない・・・

とりあえず、PCで見てるだけならピクセル適当に決め打ちながらあれこれすればそれなりになる。しかし、それであわせるとスマホではきっちりあわない。

手抜きCSSで両者に合わせる方法がよくわからない。というか、素で書いても両方である程度はちゃんと見た目がうまくいくようにブラウザがレンダリングしてくれよと思う。

特にiPhoneの文字サイズが小さすぎるので大きくしたいと思って文字サイズを大きくする。しかし、そうすると今度はPC側があれすぎての繰り返しである。

なんかちゃんと設定があるのは知っている。メディアクエリとかそういうのでなんとなくあるのも知ってる。でも、滅多に書かないので、そういうのを配慮するときにはフレームワーク側におまかせしてるしね・・・だって私Webの人じゃないもん。

端末で確認もできず

PCのブラウザと手元のiPhoneではまあ確認できる。しかし、Androidを持ってないので確認ができない。

それでも画像でやるよりかはまし

画像でやればある程度は見た目はそれなりになる。でも、それは情報発信の趣旨(やることの目的はデザインではなかった)に反することになるしね・・・

変なところに敏感なのが悪いわけで(余談)

(ある業界において)自称ホームページビルダーでホームページが(ホームページという言い方自体個人的には論外だが)が更新できます、の人は、色・余白・フォントサイズに関して鈍感である。そのため、さくさくと仕事が進んでいる。うらやましい・・・

だいたい、デザイナーでない人間にデザインをやらせるなという話である。しかし、そうはいってられない状況もよくある。

これだけいろんなところで発信する情報量が増えているのである。全てをデザイナーに丸投げということも無理でしょう。そうなると、デザイナーでない人間もある程度はデザインを学ばないといけないという話なんでしょうね・・・

自分の場合、おかしいのはわかるけど正しいのがわからないという中途半端なのが悪いんですよね・・・

お上からの資料が出ましたね・・・

お上からありがたい解説資料が出てきた。

だいたい、内容はワーキングの頃から見慣れていることが多いので、いつどこでみたのかがわからなくなってきた。あと自分が日頃いっていることもあるんだけど、それは誰の影響でいったのか自分で考えたのかもわからなくなってきたり。

頭をあまり使わずに書けることをまず書く。

データについては現状のとがった(まともな)教科書を要約したというイメージ

データ周りで色々と書かれていることもあるが、だいたいのことは、数学側も情報側も、今の教科書を少しまともモードで読んで考えて授業するときには言ってきたことが多く書かれてるよね、って感じ。 (ただ、周りの他の人は全然そういう話しはしてなかった。で、私だけが話してるので異端児扱いでひどい目にあってきたけど。)。

数学でいえば、K社の統計の部分、情報でいえばD社とN社のとがった部分をみれば解説に書いてあるようなことが書いてある。今度はそれが全社のスタンダードになってくれのかな、という感じ。

相関と因果の違いの例なんて、今でもばりばりに話すでしょう。普通は(ただし受験が関係ない場合の授業)。総監と因果の件も含め、この手のわかりやすい例を考えるのが授業準備として一番しんどかったとこだし。数学だろうと情報だろうとほぼ似た話をする。

情報に関しては今のD社とN社のをベースにしていれば、次の課程に対して(知識面では)そんなにギャップを感じることはないはず。ただ、自分はそれで理解できても周囲と生徒は理解できないのが大問題ですが。あと、実習教材の用意が無理。生徒実態もだめだめなので。

でも、数学の指導事項にシンプソンのパラドックスとか相関と因果の違いはちょっと違うと思うけど。結局、データとかモデリングは別科目立ててよと思う。

あと、尺度水準は情報で扱うけど、質的データと量的データの区別は数学とか無茶でしょ。尺度水準の発想もセットでしょ。それ扱うなら。

解説読めばよむほど、どっちが数学でどっちが情報とかいうのは言葉の遊びにしかすぎなくなってくる。というか、私は両方の教科書の該当箇所を何社分か熟読して授業してたけどさ。どっちの授業するときも。

自分のことだけ考えれば、異端児扱いだった自分の感覚を正統派として授業できる環境が整った。めでたしめでたしである。ただ、この単位数では絶対うまくやるのは無理だと思うけど(小・中の情報教育はゼロと仮定)。

情報活用能力の説明・・・

おおもとの指導要領では「学習の基盤となる情報活用能力が、中学校までの各教科等において、教科横断的な視点から育成されたことを踏まえ、情報科の学習を通して(以下略)」とあった。そこをどう説明していただけるのかを注目していた。

説明をみると、小学校・中学校ではやってるということをさらっと書いてるだけ。もう少し具体的に書いてもらわないと困りますよ。

だいたい、小学校の総則の解説では、情報活用能力の定義に「事象を情報と情報の結びつきと捉え」と唐突に出てくるだけである。そんなの、情報の教科書みたり情報のワーキングの議論追ってない一般人がわかるわけないだろ的な解説だった。

で、情報の解説をみると、そこと別の部分の資料が引用されていた。そして、「事象を情報と情報の結びつきと捉え」の話とか、いわゆる今までの情報活用の3観点を知識理解・思考判断表現・学びに向かう人間性の3観点でとらえ直したもののそれぞれの文章について解説が入っている。といっても大元の資料は中教審の補足資料から引いてるだけだけど。

はっきりいって、これを小学校・中学校(そして高校)の総則につけておけよといいたかった。小学校・中学校の人たちは、情報活用能力なんてさっぱりわかっていないから、好き勝手に主張を始めるのである。そのとき、文科業界の情報の常識はこれで、ここでいう情報活用能力はそれのことだからつべこべいうな、とびしっと言えるので。

もっとも、高校の一般科目の教師ですら情報活用能力の解説で書かれていることがさっぱりわかってない人も多いのだが・・・・

余談(私の授業のお話は情報ワーキングでいってたことをぱくったわけではない・・・)

統計やモデリングは情報活用能力の一部と明記され、わりと丁寧に説明されていたのが一番良いことである。小学校の解説では一文だけさらっと書かれていたので、情報活用能力には統計とモデリングが含まれると言い切るのは怖い状況だったので。

統計やモデリングに関係する話をしたとき、これを情報とは関係ないことだという周りに言われて、どれだけストレスをためこんだかわからない(今の指導要領解説を使ってそれを叩き潰す準備もしたけど)。

コンピュータが処理しやすい形にすることを考察することも情報といってたけど、これを明記されてよかったよかったである。

私が図などを使っていっていたこととしては(その図を描くと身バレが怖いのでしない)

  • コンピュータは数字を扱うのが得意な道具(というか数字しか扱えない道具)。数字をうまく扱うのは数学を扱うのが自然。よって、いろんなもの・現象をコンピュータフレンドリーな形に直すためには数学が使われている。よって、情報ではある程度は数学的なことを扱わざるを得ない。
  • 物理で現象を数学を表してあれこれやる手法が成功。理系の他でも成功。社会系でもそうなってきた。
  • コンピュータが低コストで計算をやってくれるようになった。そのため、現象を数式に落としてごにょごにゅやる手法は非常に楽にできるようになってきた。となると、今まで数式にしてコンピュータにかけるのもわりにあわなかったものについても、数式にしてコンピュータでえいっとやるようになってきた。占いやKKDよりかはましだから。
  • コンピュータの発展によって、いろんなものを数式とか数字にしてえいっとコンピュータでやる手法がマニア以外でも使えるようになった。よって、一般人もそういう手法(モデリング・統計)の雰囲気を知っておいたほうが良いよね。

なんだけど、だいたい解説に沿った話になってるんだよね・・・これ。

ただ、指導要領解説ぱくってしゃべってたと思われるのがしゃくだけど(ワーキングやる一年前の授業ぐらいでこの話をして、ワーキングの議論がでてきて、自分の授業が何かをぱくった思われたらいやだなと思った。)。

高校段階での文理融合の議論は文学部以外の2次を数3必須にするだけで消える

最近、文科と経産がそれぞれ教育のあれこれを出した。

それを読んでの感想として、文理融合に着目していたエントリを見た。これを見て思ったことを書く。

1回生数学まで文理共通とすれば大半は肩がつく話

文科側では、微分方程式線形代数ベイズ統計などがデータサイエンスに必要だから文理問わずやる必要がある、とのことが書かれている。しかし、従来から、こんなものは文系でもやらざるを得ないところはやらざるを得ない。一部の文系界隈では、すでに「微積線形代数はできないほうが悪い」(あるレベル以上の組織では)という話になっているはずである。

要はこれって一回生数学と、それを理解してから派生的に理解するべきことですよね。確率・統計は2回生配当することもあるけど。神永先生の本でいうところの数学IVになるというとこまでが求められているということになると思う。

情報やるのに理科が必要?

「文理融合」の単語が出てくるたびに、その「文理融合」に理科は必要ですか?となる。物理(簡単な力学)は必要なケースは出てくるかもしれない。でも、生物・化学いりますか?電磁気・波動・原子物理必要ですか?どうしても高校のときにやっておかないとだめですか?後から独学できない?

だいたい、1回生数学がわかっていれば、大抵の理科は後から学ぶことができるのでは?そう思うのである。

人文・社会・自然に分類すれば良いだけ

ここでいつもの持論になる。結局は、文理という分け方が大雑把すぎるのである。分けることそのものが問題ではない。よって、分類を少し細かくすれば問題は解消できる。すなわち、人文科学・社会科学・自然科学にわければ済むだけの話である。そして、情報系の学部は社会科学側の類型でも受験可能ということにしてしまえば良い。そうすれば文理融合という大風呂敷など広げる必要はない。

社会科学は

  • 数学は理系数学を出題(統計推測含む・二次曲線と複素数平面は除外)
  • 情報(Iだけで十分)
  • 社会と理科から1個選択

とすれば良いだけである。

今度の情報はモデルとデータの考え方を全面に押し出す。そして、社会モデルをかなり押してくるはずである(なぜなら理科で自然のモデルは扱うからそれと被せない)。経済モデルなども、考えようによっては情報のモデル化の題材として出題できる。情報セキュリティなどでも、社会的センスをかなり問える。よって、情報を試験に出題するということは、社会科学の基礎を出題するということにもなっていると言える。

あとは、まあ理系が理科2個だからなんか1個ぐらいあわせて出題すれば?なだけである。理科・社会から1個選択が得点調整で収集つかないなら、物理・地理総合・政治経済をセットにした試験をすれば良い。物理は原子物理ぐらいは除外で良いでしょう(物理基礎だと何も試験にならないので4単位物理。)。

従来理系にも情報のオプションはつけてあげたい

自然科学側は、理科の選択として情報を認めれば良いと思う。すなわち、理科+情報から2つにすれば良い。学部・学科ごとに指定しても良い。例えば、従来的工学部なら物化指定すれば良い(コンピュータは後から教育するといった考え方)。ただ、数学科・情報学科・物理学科・一部の生物系あたりなら物理+情報の組み合わせなどもありにして良いと思う。

現状の理系の理科の比重が重すぎる

現状、低レベル理系は数学より理科で差がつくようなイメージがある。量は重いし、数学は努力ではどうにもならないから理科に走って最後は勝負かけたほうがうまくいくはず、という事実もある。。

文理融合というときの「理」は高校理科の素養が求められているわけではない。あくまで理系数学が求められているだけである。よって、高校理科の重みを減らさないと、文理融合の資質として求められているものを身につけた人はいっこうに増えない。

理系的な思考を増やすといっても、化学科・生物科の中に相当数いる理論的な思考ができないタイプの人をどれだけ増やしても増やしても(もちろん誤解なきようにいっておくと、化学・生物にも理論的な思考ができる人も山ほどいる)、データサイエンス人材は増えるとはとても思えない。

(さらに少し毒を吐くなら、高校化学・生物をやってたからといって大学にちゃんとつながるかというのも怪しいという話があるとかないとか・・・)

システムがうまく回ってないとこだけ修正すれば済むだけ

いろいろ議論してきたが、結局の問題は「科学的アプローチはしたいけど、興味のある対象は自然ではなく人間や社会である、という人間の受け皿が現状の高校ではない」という一言で終わる。その領域について「文理融合が必要」と世間では叫んでいるようにしか見えない。

ある特定の部分の受け皿がないだけなら、それ用のルートを別に作れば良いだけの話である。

現状の理系に順応できる人は、現状の教育システムのままで問題ない。人文系のもう絶対に何もできない人に数学をやらせるのは無理だからその人たちはそのままで問題ない。

唯一、理系側になびくとしたら、文系の中で自然に対象はないけど科学的手法に興味がある人になる。だったら、そういう人たちに対してそういうルートを作ってやればすのだけの話である。

何も、文理融合と騒ぐ必要はないのである。

自分の場合(余談)

何度か書いているが、理系を選択しなかった大きな理由は、ひとえに理科が嫌だからである。特に化学。これがなければ、数学系や情報系の学部で勉強をしたかったという思いもある。百歩譲って理科の教科内容を勉強するのは良いが、教え方とか色んな意味での拘束に適応できない。よって、正規のルートで理科をやるのは無理なのじある。

で、しょうがないので色んな手で理科を避けながらやりたいことをできるようにして、で、回り回ってイレギュラーなルートで数学や情報を使う感じのお仕事を増やしてきたわけである。

行と行の間隔って誰がいつ教えるのだったっけ?

業務でちょっと面倒なレイアウトの調整をしていた。行間も微調整していたのだけど、そんな中思ったこと。

私はHTMLやTeXで常識を学んだ

日本語の文字を配置する際の行と行の間隔の感覚は、HTMLを生で書き始めたときに学んだ。日本語はデフォルトのline-heightでは狭いので、CSSでline-heightを150%ぐらいに指定しておく、という話の中で初めて意識をした。

ただ、行長があまり長すぎると読みにくいのでほどほどにしておく、はTeXで学んだ。jsarticleの設定の説明を読んでいたときだったと思う。ただ、行長が長ければ長いほど行間は必要を明確に意識したのは、ここ数年で何かの本を読んでいたときである。

構造とデザインの分離も、当然ながらHTML+CSSTeXで自然に学んだ。

「プログラミングをやると普通の道具もうまく使える」を思い起こした

プログラミングを教えることで機械に優しい方法が何か、を早く習熟できるという説が一部である。この話は、それと似ている。HTMLやTeXを学ぶことで、文字のレイアウトとはどういうものなのかについて早く習熟することができる。

Wordでも行間の調整や構造とレイアウトの分離は教えられる(教えたこともある)。しかし、どうしてもいろんなものがかぶさっているため、教えたい部分が濁ってしまうことは否定できない。HTML+CSSTeXほど見えやすい形で教えることができない。

次期課程ではレイアウトの常識には少し触れますが

次期課程の情報デザインでは、(まともに教える場合)文字の配置は構造とレイアウトの分離はある程度は教えると思う。

学習課題例は「情報デザインを意識したWebサイトを作ってみよう」になっていたはず。この課題をやらせる以上、構造をレイアウトに反映させるために余白は適切にコントロールしないとならないし、構造と見た目は分離してコントロールするという話は触れざるを得ない。

教えても定着するわけがない環境

お上は、情報で学んだことはいろんな教科で使うはずだから定着するといっている。しかし、使わない現状がある。使ったとしても、その使った先で指導する教員がわかってないから指導できないという実情がある。

しかし、他の時間は基本がわかってない人が担当するわけですよ?スルーされるし、最悪、情報で習ったことと逆の指示すらしそうですが。情報で教える前後でそんなことされていると手遅れですよ。

私が見てきた光景

スライドに明確な意図もなく明朝を使ってて、模様の上に文字ひっかけてるスライドを指導していない光景を見たことありますよ?何度も。というか、その場合がほとんどでしょう。

そんなのが積み重なって、情報の授業をやるころには「(他のありとあらゆることは緩くしている状況で)私の課題のスライドで明朝使ったら絶対に許さない」と言い続けても、明朝そのままが続出するんですよね・・・

授業はきっかけだけ与えておけばなんとかなる論もあるが

情報で学んだ色んなことについて、意識さえ情報の時間で身につけせておけば、あとはgoogleに聞けるだろうという意見もある。しかし、そんな頭脳を持った人は私の半径3m以内では少数派である。世間は広いから何かが違うのだろうか。

結局、この国で一般人にペーパー試験で罰則をつけられないことについて何かを教育するのは無理といういつもの結論に落ち着くのである。

そもそも時間数わかってる?

情報デザインが教科書でどういう書かれぶりになるのかはわからない。しかし、ここで述べたことは扱うべき必須事項のはずである。しかし、必須事項は山盛りである。小・中で基本操作すらろくに教えていない(総則で教えてることにはしてるが)のだから。

なんとかラーニングがらみで生徒主導でやらせろという縛りもある。

そんなあれこれの現実の中で、たった10時間でまともに教えられるわけもない。 (60/4=15で1単元で、いろんな単元が思いのでだいたい10時間検討で見ておきたい)。

要はクレーマーになってくれなければ良いのです(余談)

まともな人が設定しているデフォルト値にはだいたい理由があるのである。それを思いつきでぶち壊す発言さえしないでくれればどうでも良いのです。